書けなかった読書感想文

この2年、私の周りでは”価値観”という言葉をよく耳にする。
あわせて”どういう時に価値観が変わるのか”を考えることがある。
このとき、いつも心に浮かぶことがある。

小学校高学年か中学校の夏休み、読書感想文の宿題が出された。
さて何の本を読もうかと図書館をうろうろしていると、
マークトゥエインの「人間とは何か」という本に目が留まった。
トムソーヤの冒険を書いた作者だし、何だかかっこいい感想文がかけそうな気がして
その本を読むことにした。

しかしその思惑ははずれ、それは苦しく恐い本だった。
中でももっとも私を苦しめたのは、
”誰かのための行為も、所詮は自分の為に過ぎない”という部分だ。
「自分はいいことをしたという満足感を得るため、
 または困っている人を見て、見ぬ振りをすることによる罪悪感から逃れるために過ぎない」と。

「いや、純粋に相手のためを思っての行為があるはずだ!」
反論しようとするけど、その主張を打ち砕くことができない。
本を読み進めたら答えが出るかと思いきや、一向に出てこない。
それまでの価値観が崩壊しそうな恐怖から、その本をそれ以上読み進めることができなかった。

以降誰かから親切をうけても、純粋に喜べなくなってしまった。
そして誰かのためにと思っても、所詮は自分の自己満足だと思って躊躇する。
それまで崇高だと思っていた”誰かのため”という行為に、マークトゥエインの影が付きまとい、
振り払うことができなかった。

大人になるにつれ「たとえ自分のためでも、いい事はいい事なんだからいいんだ」
なんて自分に言い聞かせ、その影は小さくなった。

夏休みの宿題はというと、結局別の本を読んで提出した。
何の本だったかも記憶に残っていない。
うん十年たって、やっと宿題だった読書感想文を書くことができた。

そろそろあの本を読んでも大丈夫なんじゃないだろうか。
子供の自分から出されていた”続きを読む”という宿題が、今ならできそうな気がする。