意識は無意識を変えるのか?

 高椋さんが興味深い質問をした。私の描いた無意識と意識の絵を見ながら、意識をすることによって無意識は変化するのではないかと言ったのだ。私は、意識は無意識に逆流しない、と答えた。
 その答えは彼女の仮説を否定しているかのようでもあるし、以前に「摩訶般若波羅蜜多を単純に読めば大いなる智慧の完成だが、般若とは無意識の使い方、無意識から不要なものを即座に捨てるための智慧だ」と言った自分の言葉とも矛盾するように思える。メンタルトレーニング、イメージトレーニングなんかできない、と言っているようにも聞こえる。
 「意識は無意識に逆流しない」というのは、色々考えぬいた末に私の中で生まれた信念、証明不能の自身の仮説である。意識を無意識に変えるための効率的な方法は、意識を空にして、書く、声を出す、体を動かす、のように一度色に変換してやり直す。瞑想やイメージトレーニングも同じこと、声を出す、体を動かすイメージをもう一つの識がこなしてくれる。そのための媒体の一つが言葉に過ぎない。
 そう、意識には使わなくなってしまったもう一つの意識の空洞、ぼやけた空間がある。異次元空間に浮いた城。その城が人の心だとすると、その城への他者の侵入を防ぐための巨大な迷路が無意識で、迷路を何とかすり抜けてたどり着いた頂上にガラス張りの部屋のような閾のないとても小さな空間がある。それが多分意識の世界だ。あってもなくても何とかなる謎の空間だ。
 私は仮説の証明はできないと言った。それなら大いなるナゾナゾを残そう。仮説を説明するためのメタファーと言ってもいいかもしれない。 

 『意識は無意識を変えるのか?』

 もしそう聞かれたら、意識は無意識に逆流しない、としか答えられないということだ。

色即是空、空即是色
空とは意識の箱、意識の空洞
意識を空にして、色との疎通をよくする
意識が空であるとき、一番よい効率で取捨選択された色が流れ込み
極めて小さいその空洞は最も美しい色で満たされる
無意識の荒野には意識の空洞を狙って様々な色がその結界を超えようと
目詰まりせんばかりに隊列をなして待っている
詰まっていた奴らが流れ込んだ瞬間、ひらめいたと我が意識する
意識の空洞には言の葉に包まれた色が表象され浮かんでいる
まるでそれは論理の万華鏡だ
万華鏡のような空間が
極めて小さな空洞を小さな論理を大きく見せている

マクスウェルの悪魔は存在しない
エントロピーは増大するのみ 不可逆 一方通行
じゃあ、なぜ人は言葉を持ったの?
異次元の素朴な疑問は
万華鏡の空洞の中をこだまする
色即是空、空即是色
海は泳ぐ、山が歩く
その感覚
私は泳がず歩かず思わず
私は確かにいない
幼い言の葉の舞うもう一つの空洞で山が歩き
幼い言の葉の流れるもう一つの空洞で海が泳ぐ
私が泳ぎ私が歩いている意識の世界
何故の答えは空にしかない

私に幼い子供の頃の記憶はない
目の前を流れるような意識はあったかもしれないが
その頃の自分は時間を空間的にとらえる意識はなかった
主観的に私を感じる自分はいなかった
今の私の意識を作ったのは外部にある他者の多くの私の主観だ
私は私の主観を色である他者の多くの主観から客観的に学んだ
その色が私を作った、だから私がいる
色即是空、空即是色
私がいて自分がいる
私も自分もいない
色と空が同じでしかない色と空がある