そして、アナロジーと・・・ (フィールドワークとベイジアンネットワークと)


「知識・技術があるヒトが現場に行った時に、アイデアがひらめく。」
と平久保仲人先生(ニューヨーク市立大学ブルックリン校マーケティング准教授)がレクチャーされていた。

それを聞いて、
手ぶらではなく知識や技術を最低限持ってフィールドワークすることを
忘れてはいけないとあらためて思っていた。

そして、そこからさらに深く考えると
では、「その分野の知識や技術を持ってフィールドに出れば、発想することができるのか?」
そもそも、「フィールドワークに出て発想するとはどういうことなのか?」
という問いにいきつく。

その問いについて、
ニュートンが、リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したことを例に、
というか、『ことばの発達の謎を解く』今井先生の著書を手に取りながら、考えてみようと思う。
なお、この例をとりあげるのは、
ニュートンが机の上だけで考えたのではなく、引力が働く実際の“現場”を見て発見したというからだ。

さて、考える手始めに
この有名なニュートンの逸話に1つの問いかけをしてみる。

「リンゴが木から落ちるのを見た人は、ニュートン以外にもたくさんいただろう。その他の人たちは、なぜ万有引力の法則を見出せなかったのか?」

この問いに対して、まず考えらえるのは、
“ニュートンの時代には、ガリレオの落下実験やケプラーの惑星観察により引力の存在が知られていた”*1。
ということなので、この知識がなかった人は思いつかなかっただろう。ということ。

でも、これだけではちょっと納得できない。
この引力に関する知識があり、リンゴが木から落ちることを知っていた人も、他にもたくさんいただろう。
その人たちが万有引力の法則を発見できなかったことを、それだけでは説明がつかない。
つまり、発見には、事前に専門知識を持っているというだけではない、
それ以外の何か必要なことがあるということになる。
どうやら、
このニュートンの逸話には続きがあるらしい(私はこの本を読むまで知りませんでした・・・)
“ニュートンは

「リンゴは落ちるのに、なぜ月は落ちてこないのだろう?」

という疑問を持った”*1という。
このように次なる問いを見出したことが重要のようで・・・。

これは、共創と“場”に関する研究の第一人者である清水博先生が
「問いかけを発見し続けるということはどういうことなのだろう」と
講演されていたが*2、まさにそれに通ずることではないかと思う。

(以下、上述の今井先生の著書より引用)
“ある要素(あるいは性質)がモノAに存在することを知ると、
それと「同じ」モノBにも同じ要素(性質)が存在するのではないかと考えることもよくあります。
これが「アナロジー(類推)」です。”
“すでに知っていることをそれに似ている未知のことに対応づけることによって、
未知のことについて推測するという思考の仕方です。”*1

そして、
“科学発見と「関係のアナロジー」”について、下記のように説明は続いていく。
“よく理解されている現象とまだ仕組みが分かっていない現象を対応づける時、
二つの現象の間の表面上の類似性(たとえば見た目の類似性など)ではなく、
要素の間の「関係の類似性」をあてはめるということです。”
“二つの現象をそれぞれシステムとして考え、そのシステムを構成している要素そのものの共通性ではなく、
要素どうしの類似性をそぎ落とした要素間の関係の類似性、つまり二つのシステムの間の構造の共通性を考える”

“一般的にはアナロジーによって得られるのは最初の「考え方の指針」のような大まかなアイディア”
“科学者は自分の仮説を検証するために、
現象の説明に必要な要素、構造、関係だけを切り取って「モデル」をつくります。”
“科学者は、自分のアイディアをも「モデル」にして、そこにおける要素や要素間の関係を変数として
システマティックに操作していった時に何が起こるのかを考え、多くの場合、実験によって検証します。”

“科学とは、システムの仕組みや働きを発見することともいえます。
説明したい現象をシステムとして捉え、そのシステムを構成している要素を探し、要素どうしの関係を考え、
そのシステム全体がどのような構造をしていてどのように働いているのかを探索する。”
“科学の発見のプロセスに欠かせないアナロジーとモデルを使った思考とは、
必要なエッセンスだけを残して現時点での目的のために不必要な要素はそぎ落とすことから始まります”*1

つまり、
「その分野の知識や技術を持ってフィールドに出れば、発想することができるのか?」
という問いに関しての答えは、“No”ということになる。

そして、
「フィールドワークに出て発想するとはどういうことなのか?」
については、
上述のようなアナロジーとモデルを使い思考するということと言えるのだろうか。
では、
「どうすれば、アナロジーとモデルを使った思考をすることができるのか・・・」
“発想する”とはどういうことなのかについては、まだまだ疑問は残るので、引き続き探究していきたい。
ただ、少なくとも
専門知識を持ってフィールドに出て、情報を収集し、単に蓄積し積み上げていくということではないとは思う。

ひと昔前、
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」
という有名なセリフがあった(踊る大捜査線THE MOVIE)。
確かに、現場にいくことは、とても重要だと思う。
でも、だからといって、
ただ単に現場にフィールドワークに出ればいいという訳でもないということは肝に銘じておきたい。
青島刑事と室井さんの連携プレイがあったことも忘れてはならないし、
和久さんの力も忘れてはならないのだと思う。

前回、フィールドワークとベイジアンネットワークについて書いたが、その相乗効果を生みだすために、
ただ単にフィールドに出るだけではなく、
そこで見つけた現象を説明するために、システム間の構造の共通性を考え
「モデル」をつくることにつなげるという意識をし続けること。
定性調査で収集した情報から、必要なエッセンスに絞って効果的なストーリーを構築し、
それをベイジアンネットワークの親子関係で表現していくことが重要で、
それが優れた分析・推論につながると考えている。

そのストーリーやモデルを発想するために、フィールドワークは有効な方法になると思うし、
その発想のためにフィールドワークをしていこうと思う。
そして、
そのような具体的実践をもとに“発想する”とはどういうことかを帰納的に考えていこうとも思う。

なお、
アナロジーという類推の思考は、何も特別なものではなく誰もが行ってきたもので、
それは言語を習得する際のプロセスと同じだということを、上述した今井先生の著書に詳しく説明されている。
また、ニュートンの事例説明についても詳しく、(当然ながらここではかなり省略し引用している。)
さらに、原子構造のモデルについてもあり非常に興味深い。

最後に、
若い頃に今井先生の講義を聞くことができたことが非常に幸運だったと思う。
先生に教えていただいたことに

  • ・知識を獲得すること(学習することは)、積み上げるものと思われがちだけれど
    順番に積み上げて蓄積していくものではない。 点と点がネットワークのように再構成・再構築されていく。
  • ・言語は思考には追いつかない、言語は思考をすべて表現できるわけではない。

ということがあった(間違っていたらすみません)、
特にこの2つは衝撃的で、その後に考えと行動を大きく変えるきっかけとなった。
あらためて、心からお礼を申し上げたい。

*1 『ことばの発達の謎を解く』今井むつみ(2013)
*2 ヒューマンインタフェース・シンポジウム(2013/09/10)


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