寓話

ある日、あるところで、流れ者の二人の研究者が出会った。一人は勤勉で本をよく読み、瞑想した。瞑想した後、本を書いた。他の一人は全く本を読まなかったし、書かなかった。ただ瞑想しプログラムを書いた。前者を「学者」と呼び、後者を「プログラマ」と呼ぶことにしよう。

二人が出会ってしばらく経ったある日、学者は、プログラマに尋ねた。「本を読まなければ、他の人の考えが分からない。本を書かなければ、自分の考えを伝えることができない。あなたの考えが他の人とどう違うのか、あなたが何を考えているのか、誰にもわからない。あなたはそれで平気なのですか?」

プログラマが答えた。「私の研究テーマは、プログラムを書き、そのプログラムの修正箇所が無くなった時点で終わっている。私がプログラムを書くのは、自分の考えを確かめるためだから」

学者は、プログラマの事が知りたくなった。だが、学者はプログラムを書いたことがなかった。そもそも勤勉だった学者は本からプログラミングを学び、必死でプログラマの書いたプログラムを解読しようとした。慣れない作業のために多くの時間を費やしたが、それでも、以前と同様に本を読み続け、瞑想しては本を書いた。

学者にお構いなしに、プログラマは、瞑想しては、プログラムを書き続けた。

それでも、対照的な二人の間には不思議な共有感が生まれていた。

そして、長い月日が流れ、二人に別れの日がやって来た。

学者は西に向かい、プログラマは東に向かうことになった。

分かれ際に学者が言った。「私は、あなたのプログラムを必死になって読んだ。ここにいる間の大半の時間をあなたのプログラムの解読のために費やした。そして、いろんな本を読み、あなたのプログラムに応用できないか、足りない部分はないかを考えた。しかし、あなたのプログラムは、私の知る限りの本に書かれていることがすべて試されていた。そればかりではなく、実にあなたらしいエッセンスが盛り込まれていた・・・でも、私の努力が徒労に終わったわけではない。あなたのおかげで、至って単純で大切なことが分かった。」

「それは何ですか?」プログラマが尋ねると、学者が答えた。

「本には、答えはのっていない、ということです。」

「それは良かった。では、あなたに読む必要のない本を差し上げましょう」プログラマは、本を渡した。それは、学者が解読しきれなかったプログラムの解説書だった。「私もあなたのおかげで少しだけ変わったのかな。」プログラマは照れ臭そうに笑った。

「ありがとう。読む必要がないと言われると読みたくなりますが、読まずに考えます。答えは、私の中にしかないですから。」そう言うと学者は、その本を高く掲げて手を振った。指の先から、プログラマの存在そのものが静かに伝わって来た。そして、くるりと背を向け、西に向かって去って行った。

ゴールドラッシュ!

ゴールドラッシュ???

へぇ~と言う感じだが、今年は、金環日食、金星の太陽面通過、金星食と3つも珍しい天文現象を見ることが出来て、ゴールドラッシュと呼ばれているそうだ。おそらく、タイムリーな話題から連想すると、タイトルを見てその話かな~と思った人も多いかも知れない。しかし、その話題に全く興味がない私は、その期待を裏切って全く違う話をしたいと思う。

ゴールドと言うのは不思議な魅力を感じる色だ。情熱的でもある。金メダルを思い浮かべれば、何だかスポーティーでクリーンなイメージを連想するが、例えば、金バッチ、金満主義、のように、人間の欲得を揶揄するような悪いイメージもある。今日もあるメンバー所有のスマートフォンのカバーの色に批判が集まっていた(金色にすごい刺繍の柄だった、品がない?)。だが、過去も現在も、そして未来も、多くの人間が金の魅力に心を奪われてしまう現実は変わらないのだろう。

当グループの経済学勉強会で、あまりにくだらないと思って、しなかった話だが、金本位体制によって世界の為替が成り立っていた時代もあった。金本位体制は、金一定量と貨幣を交換することを中央銀行が約束する、と言う制度だが、実は、この金本位体制には、一応調整機能があった。当然、各国によって為替レートが違うので、裁定取引によって為替レートが高くなった国に金が移動する。そこで、その国の中央銀行が金融緩和を行い、流通する貨幣供給量を増やせば、物価が上昇し、自国通貨が下落し、調整メカニズムが働くはずだった。しかし、金保有量までしか緩和ができないと言う「足かせ」とインフレを恐れたために、現実的には、殆ど緩和は行われなかったらしい。

金を悪いイメージで捉えるのは簡単だが、やはり、金から連想するイメージは魅力的だ。取りあえず、何だかんだ言っても金色のものは売れる。私も金色は好きだ。何となく気が引けるので、あまり身に着けはしないが。銀色にしとくかな、とか思ってしまう。

私の世代だけかも知れないが、教科書に「金の窓」と言う童話が載っていた。ある少年が山の向こうの金の窓がある家を「いいな~金持ちの家なんだな」と毎日見続けていて、ある日、意を決してそこまで行くと、金の窓なんかなくて、窓から家族の笑い声や夕飯の匂いがもれてくるどこにでもあるような庶民的な優しさのある家で、金の窓は夕陽のせいだったと言うような話だったと思う。この少年にとっての金色は、きっと家族の温もりになったに違いない。少年は心に大きな財産を得たのではないだろうか。私にとっての一番の金色は、少年野球の監督をしていた頃、「いっしょにとったやろ」と言って少年たちが私の首にかけてくれた金色だ。思い出すのは、土草や汗の匂い、光、涙、怒号、笑顔、そんなものばかりだが、元気が出るし、美しい。

ラッシュまでは要らないが、たまには金色もいいものだ。

米国の良心

残念ながら、ノーベル言語学賞と言うのはないらしい。ノーム・チョムスキー。言語学の歴史の中では革命児であり、最も大きな存在なのだが、表題の言葉でピンと来るぐらい、どちらかと言うとアメリカおろしの過激な発言で知られる男である。彼に言わせると、人間は生まれながらにして生成文法を持っているそうだ。「文法は、文を弱生成し、構造記述を強生成する」~何のことかさっぱりわからないが、噛み砕いて言えば、学校で習ったような文法なんか重要ではない、句構造規則を記述することこそが重要なのだ、と言うことなのだろう。前者は表層を規定し、後者は文構造を規定する。私自身も変形生成文法の説明に現れる木を美しいと思って手でなぞった時期もある。人工知能的なアプローチとの融合で、自動翻訳システムの試作を試みていた時期もある。言ってみれば、世の中の流行だった。時代を追いかけたのである。当然のことながら、そんな試みがうまくいくはずもなく、次第に彼の名前は、この世界では薄れて行った。そんな中で、徐々に台頭してきたのが、隠れマルコフモデルに代表される、統計的確率的アプローチである。やはり、そこにも嵌った。統計確率しかないだろう、と断言した時期もあった。しかし、私は断言したことをすぐに撤回する名人である。今になって思うと、結局流行を追っかけたのではないかと。最近、また、テキストマイニング技術が必要になることが多くて、採用しているのはやはり統計的確率的なアプローチなのだが、それにも限界を感じる。

どんなアプローチをすれば人間らしい対話を獲得できるのか、その道は近そうで遠い。言語学なのか、確率なのか、そんなものは実現さえできればどっちでもいいが、人間は話すとき殆ど無意識である。知識を自動的に獲得するのは、無意識を表現するのに妥当な方法なのだろう。

話は逸れるが、古い言語学者にグリムと言う人がいる。グリム童話のグリムである。また、絵画や小説の世界にも、カットアップやフォールドインと言う技法があって、これらは、機械的な方法で、意外で新鮮なフレーズや印象を生み出そうと言う試みである。小説家では、バタイユやバロウズが愛用した方法でもある。自然言語を何らかの方法で論理的に説明したり、機械的に利用したりしようとすることは、何も頭の固い学者だけの特権ではない。芸術やそれに伴って生まれる付加価値ともしっかりリンクしている。

私は、行動予測能力を持った、感じのいいキャラを作りたいと思っている。自然に話せて、楽しくて、想像力に溢れていて、また仕事をお願いしたくなる、社長やマネージャなら社員として雇いたくなるようなキャラだ。そんなキャラを少しでも早く世の中に送り出すことが我々の使命なのだ。