2018年度人工知能学会全国大会も大盛況!

報告が遅くなりましたが、今年も記録ラッシュです。

参加者2572名(速報値)、発表件数(765件)とスポンサー(68社)は過去最多を記録したそうです。凄いですね。
この上昇傾向、止まりません。

会場は、鹿児島市の城山観光ホテル。
小高い丘の上から桜島がよく見えます。

 

☜この通り残念ながら、梅雨時期…天候に恵まれず山頂は雲に覆われたまま…クリアに見ることは出来ませんでした。

 

ホテルに到着し、とりあえず受付から済まして・・・と、運営スタッフさんは皆お揃いのロゴマーク入りのTシャツに身を包んでいるし(識別しやすかった)、冊子には持ち歩けるロゴマーク入り手提げバックとミニ団扇が付属していました(これ以外と重要)。

 

☜ホテル入り口の看板。ロゴマークは赤い飴玉をモチーフにしたものだそうです。

 

受付は人と熱気にあふれ、人工知能の好景気の波を感じました。

今回は、自身の近未来チャレンジでの発表もありましたが・・・もうひとつの目的がありました。それは” [近未来チャレンジセッション] NFC-2 卒業②:認知症の人の情動理解基盤技術とコミュニケーション支援への応用”の聴講です。

このチャレンジでは、超高齢社会のなかで避けては通れない認知症という社会課題に対して、5年前から着目し取り組まれたという視点の鋭さはもちろんなのですが、様々な分野の人との協力や共同のもとプロジェクトを完走したというエネルギーの強さが素晴らしいと感じました。

また、近未来チャレンジにとどまらず情報処理学会では高齢社会デザイン研究会の運営をされたり、みんなの認知症情報学会を新たに立ち上げるなどの活動を同時にされており、ヒト・モノ・コトを引き寄せて社会課題に取り組み、情報を発信していくことが重要なのだと感じました。

昨年以上にスポンサー展示の会場は盛況で、多様な会社様が参加されとても華やかで活気にあふれていました。各セッションの発表会場でも、立ち見や部屋の外にまで人があふれ熱心に聴講されており、世の中の人が持つ人工知能に対する期待感が満ち溢れており、また各分野の研究者や企業人が持っている熱気もいまだ冷めそうにありません。人工知能を上手に乗りこなし、波に飲み込まれない事も大切だと実感した日々でした。

高きが故に貴からず、低きが故に卑しからず

 数カ月前の話。大崎のホテルで机に向かって本を開いていたが、どうも椅子が合わず落ち着かなかった。ベッドに寝転ぶと眠くなるし、気分転換にと、電車の中で読書をすることにした。大崎から山手線を2周ぐらいすると飽きたので、秋葉原で降りて乗り換えて、筑波エキスプレスで筑波まで行った。なぜ、筑波に向かおうとしたのか分からない。多分、飽きたなと思ったとき秋葉原だったからだ。
 筑波についた頃、読んでいた本はまだ途中だったが、いったん駅の外のロータリーまで行って辺りを見渡した。どっかでお茶でもしながら、そう思ったとき、ふとタクシー乗り場に駐車しているタクシーらしくない色合いの乗用車っぽいタクシーに目が留まった。個人タクシーかな、そう思った私はそのタクシーに近付いた。昼の中途半端な時間帯で暇だったせいか、他に乗客もタクシーもいなかった。タクシーの傍に立っていた運転手さんがどちらまで行かれますか、と私に尋ねた。特に行く当てはないんですが、読んている本の続きを読もうと思うので、適当に1万円分ぐらい走ってもらえますか、そんなのでもいいですか、私は運転手さんにそう答えた。いいですねぇ、そういうの、運転手さんは、ニッコリ笑って後ろのドアを開けた。
 本を開いていた私に、気にしないでくださいね、勝手にしゃべりますから、運転手さんはそう言って話し始めた。最初は気にしなかったが、あまりに落ち着いた口調で話の内容も面白かったので私は本を閉じて運転手さんとの会話に参加した。自分の運命の神社を訪ねるのだと言っていた、つい先日乗せたという京都から来た女性客の話が気になった。お客さん、山好きでしょ、突然運転手さんが言った言葉に、え、海よりは山ですが、と私は怪訝そうに口ごもった。山の本を読んでいたわけではない。なぜ、そう思ったんだろう。今、筑波山に向かっているんですよ、仁者は山を楽しむですよね、そう言って左手で目の前の山を指さした。私、どっちかというと人間出来ていない、仁者とは真逆の人間ですが・・・そう心の中で呟いていると、筑波山は標高何メートルか知ってます?と聞かれた。うーん、1000メートルはないような、私が答えると、エベレストの10分の1です、と教えてくれた。870メートルか(正確には女体山877m、男体山871mらしい)、低いですね、と私が答えると、山高きが故に貴からず、というでしょ、山低きが故に卑しからず、ですよ、わたし、この言葉好きでしてね、そう言ってまた笑った。
 運転手さんは、ロープウェイのつつじヶ丘駅にタクシーを着けると、ロープウェイでほぼ山頂まで行けるから女体山、男体山、歩いてきてはどうですか、あなたなら1時間もあれば戻って来れるでしょ、と私に勧めた。運転手さんは?と聞くと私はそこの食堂でご飯でも食べて時間つぶしてますから、戻って来たら携帯に電話してください、と言って携帯電話の番号のメモを差し出した。ロープウェイは20分間隔で運行していて、乗車時間は約6分。ロープウェイを利用して女体山の山頂駅まで行って、女体山と男体山の間を往復ほぼ走ってちょうど1時間だった。軽く走っただけなのに、山の中を走ると息が上がった。男体山の展望台あたりに地元の遠足らしき元気そうな中学生の団体がいた。彼らには私が何故走っているのか分からないだろう、次に来たときはちゃんと下から登ろう、そう思った。


女体山から見える景色、右の写真は男体山が見えている

 筑波山を後にしながら、さっきの、高きが故に貴からず、低きが故に卑しからずって言葉いいですね、私も好きになりそうです、私がそういうと、うんうんという感じで運転しながら大きく頷いていた。筑波駅に向かいながら、40年以上前からあったらしい筑波に関する国の都市計画の話と土浦の花火職人が集まる花火の話を聞いた。急いでますか?と運転手さんに聞かれ、こんなことしてる奴が急いでるわけないだろう、と思いながら、全然急いでませんよ、と答えると、じゃあ、コーヒーを一杯奢らせてください、お嫌いじゃなければ、と言われ少し驚いた。結局、運転手さんにコーヒーを奢って貰って電話番号を教えた。筑波駅でタクシーを降りるとき、運転手さんは、今年の土浦の花火の前に電話しますよ、リマインド、そう言って笑った。

 特に高い山に憧れがあるわけでもなく、低い山をどうでもいいと思うわけでもない。伝説とか、物語とか、自然とか、そういうのもあるだろう。山が何かを語っている、山が語りかけてくる何か、そういった自己問答もあるだろう。人がいて山がある。山がいて人がある。山を人の喜怒哀楽が包み込み、山の喜怒哀楽を人が包み込み、人が動き山が動くのを感じるのが好きなだけなのだ。「山高きが故に貴からず」の続きは、「樹あるをもって貴しとす」らしい。その続きは、「人肥えたるが故に貴からず、智あるをもって貴しとす」らしい。なるほど。もともと唐の詩文家の言葉で日本では「実語教」といって寺子屋の教科書に使われていたそうな。「樹」は山の木々を指すのではなく、そこから得られる人の喜怒哀楽だとみる。「肥える」のは太っているというのではなく、金、権力、性、生などの煩悩に執着し、分別することだろう。だから苦楽を捨てるための智慧が貴いと言っているのであろう。私は無智を持って自己肯定とし、智を持って自己否定と解くが。その逆もある。どちらもどこにも存在しない自己である。

 土曜日に、実際に樹が生えていない、日本で一番高い山に登った。8合目から上は残雪があってまだ冬山だった。登山者の多くはスキー板を担いでいる。今までの山行で経験のない体調の悪さだった。自分の健康管理の失敗だ。これでは人に健康管理云々とは言えない。金曜日に仕事を早めに切り上げて、富士宮口の5合目登山口まで行き、酒を飲んで車の中で寝た。少し寒気がして寝付けなかった。朝の光で目が覚めて、顔を洗ってお湯を沸かし朝ご飯を食べて7時過ぎに登り始めた。
 8合目まで、喉が渇いて水分を体が欲しているのに、汗が出ない、汗が抜けてくれない感じの自分の体に苦しんだ。8合目からはアイゼンを付け夏道を捨てて雪渓を選択した。足が雪にかみ合わずやたら滑った。滑る雪目と滑らない雪目、硬い雪目と柔らかい雪目が読み辛かった。その直感が働かなかった。徐々に寒さが増し中に服を足して重ねたのに体が冷えて重くなり、足が重くなる。体力は消耗しているはずなのに汗も出ない。喉の渇きも感じなくなった。9合目からは、山頂がよく見える。見えているだけに苦しい。風が強くて強風が吹くたびに足を止め、ピッケルを雪面に突き刺して耐えた。ここまで来たら上まで行きたいという煩悩に懲り固められた醜い意志のようなものだけが自分の足を動かしているような気がした。9.5合目、すぐそこに山頂が見えているのに体力の限界を感じた。ふと遠くの夏道を見ると夏道を行く人の方が明らかにスムーズに歩いている。そこから夏道に向かって横に1歩足を踏み出した。滑った足を押さえながら夏道をもう一度見た。そこで雪渓のトラバースを捨てた。何とか山頂には辿り着いたが、寒さと強風でもう歩く意思すら残っていなかった。完全に自分の限界点を超えてしまっていた。お鉢周りは次の宿題だな、そう思った。


9合目あたりから撮った山頂に向かう道

富士宮口山頂の様子、お鉢の向こう側に剣ヶ峰が見える

 寒さに震えながら持ってきたお湯でカッブメシを食べ、下山した。下りも勢いがあったのは雪渓をトラバースしている時までだった。8合目からは頭がふわふわして、なぜ歩いているのか、どこに向かって歩いているのかすら考えられなかった。上りはガムシャラに力強く下りは芸術的に美しくという、自分の中で出来上がりつつあった美学が音を立てて崩れていった。上りは力尽きそうな半病人が邪念に運ばれているような状態、下りは命を失った亡霊が彷徨っているような状態だった。
 5合目登山口に辿り着いた時、夕方16時を過ぎていた。9時間も山にいた。時間がかかり過ぎている。完全に失敗だ。車の横にザックとピッケル、ストックを投げ捨てると、車に積んでいたクーラーボックスからパイナップルを取り出し、むさぼるように一気に食べた。うまかった。幸せだった。パイナップルを口に頬張りながら、隣に停車していたドライブ中のアベックと目が合った。アベックは慌てて目を逸らした。車に積んでいた水で顔を洗い、少し濡れてしまった靴下を変えた。いつか分からないが、また雪のある時に来て、その時は山頂のお鉢周りをしよう、ようやく回りだした頭でそう思った。クーラーボックスを整理していると飲みさしの紹興酒のボトルが出てきた。昨日の深夜、寝酒にと登山口で空けたボトルは殆ど空だった。これはアカンわ、課題が残った。思ったような山行ではなかったが、無事に生きて帰ってきてさえいれば次がある。

 高いとか低いとかは貴さの基準ではない。自分の心が動けばそれでいい。山の心が動けばそれでいい。なぜそこに行くのかの理由もない。山が動いて山が歩くから、自分が動いて自分が歩いている。ただ、それだけだ。
 この直感を誰かに伝える、それが残された人生の中での私の仕事だ。

 秋になって土浦の花火の頃、私に言葉をくれた運転手さんから連絡があったら、またこの話を思い出すだろう。

女人結界

 このインターネット・テクノロジーに覆われた自閉社会で、いや、差別化の失われた、疑似平等無印、疑似万人総同一、疑似開放的自閉社会で、女性が登れない、そんな山があるのをご存じだろうか?私が住んでいる奈良県にある大峯山脈の一角の山上ヶ岳。その大峯山脈は長い。吉野から熊野まで突き抜ける尾根を縦走できる近畿最大の山脈だ。この現代でも行者がほら貝を吹きながら歩く道(私は見たことないけど)、大峯奥駈道。吉野から歩き始めればたぶん夕方には女人結界にお目にかかれるはずだ。いつか大峯奥駈道を熊野まで縦走してみたいと思っている。

 始めて大峯山に足を踏み入れたのが去年の秋、日本百名山の八経ヶ岳だった。行者還りトンネル西口から弥山(強い霊気を感じる場所がある)を経て八経ヶ岳に登った。それから、秋から冬にかけて大峯山周辺の観音峰や大日・稲村ヶ岳(山上ヶ岳の隣の山で昭和34年に女人禁制が解け女性も登れるようになって女性の行者が上ることから女人大峯と呼ばれている)に休みで遠出しない日にちょこちょこ上るようになった。12月になって稲村ヶ岳の樹氷があまりに綺麗だったので、その翌週ぐらいに斉藤さんを誘って一緒に登った。役行者(エンノオズヌ,神変大菩薩)の母が祀られている母子堂から法力峠を抜け、稲村小屋を目指した。雪もどんどん深くなりワクワク感が高まって、あと10分も歩けば小屋に着きそうと思って楽しくて振りかえると、少し後を歩いていた斉藤さんが凄い恐い形相で睨んでいた。どうした、楽しいだろ?って聞くと、全然楽しくない、しんどい、私もう帰る、と今にも泣きだしそうな必死の表情で訴えた。結局、斎藤さんとは稲村小屋でカップラーメン食べて別れて一人で先へと進んだ。その後、稲村には行かず、大日だけ登って引き返して何とか母子堂に戻る前に先に降りていた斉藤さんに追いついた。私の顔を見て疲れた表情だったが、安心したように笑っていた。あの日の泣きそうな顔と最後の笑顔が忘れられない。


大峯寺と山頂お花畑に向かう道

 女人禁制の山上ヶ岳に初めて登ったのは昨年の年末、さらに雪が深くなってからだった。この時期になると洞川温泉から先には冬タイヤなしでは行けない。同じ日、斎藤さんも女人大峯に再チャレンジした。斉藤さんを母子堂で降ろし、洗浄大橋に車を止めた。このルートが大峯寺お参りのメジャールートで最短ルートだ。このルートから登ると仏像や石碑が所狭しと立ち並ぶ。屋根のある通り抜けの茶屋もいくつかある(夏しかやってないが雪の日も少し暖かいところで休憩できるので助かる)。この日の登山者は4人、皆ほぼ同時に出発し私が先頭を歩いていた。洞が辻茶屋の手前のトレースのない大雪に苦労した。30分ぐらいラッセルしたので茶屋に着いたときは息が上がって肩で息をしていた。軽アイゼンとワカンのベルトを締め直しながら行くか戻るかを思案していると若者が茶屋に息を切らしながら飛び込んで来て、俺もワカン持ってきたらよかった、先に歩いている人がいてよかった、と言いながら私の横に座った。そう言う若者の足には12本爪のアイゼンがしっかりと装着されていた。ここからがきついんですよね、そういう若者はこの山を知っているようだった。後の2人は抜いたのか?と私が聞くと、ええ、さっき、もう着くと思うけど、と答えた。たわいもない話をしているうちに後の2人も茶屋に入ってきた。2人は今日は無理だよ、もう降りよう、と言いながら座って昼食の準備にかかりだした。あの人たち降りるのか、どうします?若者に聞かれて、行くよ、と私は答えた。彼がいなかったら降りたかも知れない、それぐらいへばりかけていた。彼とは平坦な道が続く間しばらく一緒に歩いた。私の方がワカンを履いていたので、平坦な道は先を歩いた。晴れ間が見えると光る樹氷が眩しくて美しかった。陀羅尼助茶屋の先で左側の行者ルートを選択し若者を先に行かせた。ここからは単独行だ。私はワカンを外して彼の後を追った。夏は鎖場と階段が見えているところが雪に埋まってそそり立つ雪の壁のように見えた。下から先に登る彼がどうやって上るかを見ていた。かなり苦労していた。健脚な若者が苦労しているのを見てこれは苦労するな、と思った。案の定、私はそこで10メートルほど下に滑ってピッケルを突き刺してようやく止まった。登り滑りを繰り返しその壁を抜けるのに相当の時間を費やした。そこからは時間と前に進もうとする気力との戦いだった。大峰寺を抜け山頂のお花畑のところにたどり着いたが、若者とすれ違わなかった。彼のトレースはレンゲ辻の方に向かっていた。ああ、あっちに抜けたのか、折り返そう、明るいうちに下まで降りたいという一心で、全速力で下り始めた。帰りも一番苦労した箇所で滑った。ピッケルを持ってなかったら、そう思うとぞっとした。女人結界の門をくぐってから、山に一礼した。今日も心が洗われる一日をありがとう。


山頂お花畑の様子

洞ヶ辻茶屋の仏像と洗浄大橋の女人結界

 洞川の行者宿に先に戻っていた斉藤さんがあまりに降りてくるのが遅いので心配してくれていた。斉藤さんの顔を見て本当にほっとした。稲村登れたのか、と聞いた。小屋までと答えた。また、宿題だね、と言って笑っていた。

 今年に入って寒さが束の間緩んだ2月のよく晴れた日、私はもう一度同じ道を歩いた。雪もだいぶ解け、山頂の見晴らしも最高だった。こんな山だったんだ、私は長い間山頂で向こうに見える女人大峯を見ていた。


少し雪が解けたお花畑と大峯寺山門

山上ヶ岳山頂からの眺め

 少し前、4月の中旬頃、アメミー(雨宮さん)と二人でまた登った。天気も良く、雪も完全になくなり、暖かい春の山になっていた。前々週やってしまった凍傷の足がまだ時々痛んだが、道はとても歩きやすかった。人もたくさん登っていた。下山後、ごろごろ水を汲みに行った。この水は大峯の水でとてもおいしい。洞川温泉と母子堂の間ぐらいに車を止めて自由に汲める場所があって、いつもここで水を汲んで帰る。その後、洞川温泉に立ち寄り、天川まで降りてキャンプした。目の前に山桜が綺麗に咲く中、焚火をして、アメミーセレクトのJAZZを聞きながら酒を飲んだ。女人結界の山に登ったのは何だったんだと思うようなブログでは書けないような馬鹿話をした。アホな奴と遊ぶとやっぱり楽しい。そういう私もやっぱりクズらしい。


焚火とJAZZ(クリックしても音は出ません)

 少し前に流行った山ガールとかいう言葉、大峰山の山上ヶ岳ではそんな流行の概念は通用しない。参道は物々しくて、ようお参り、というのが合言葉だそうな。修行場の岩場である西の覗き岩から下を見下ろすとぞっとする。高所恐怖症の私には耐えられない。そもそも、スカルパとか上等の登山靴を履いていても誰も気づかない、長靴とか足袋(雪山ではやめた方がいい、凍傷になるから)が良く似合う。ストックより木の杖の方が趣がある。だって、女人結界だから、女にもてたい、とかカッコいい男と思われたいという、一般的なスポーツの原点が成立しない。なのに、この山が好きでたまらない。


山上ヶ岳大峯寺のエンノオズヌ像と稲村ヶ岳登山口の母子堂

 山の伝説のようなものが好きなのだろうか。何か自分との近い距離感を感じる。山の深い関係者、エンノオズヌ、凄い伝説を持つ男だ。その母が祀られた母子堂から山に入ることが多い。この男が絡んでいるのも魅力の一つなのかも知れない。色んな山を切り開いたという彼は、世紀のはったり屋かも知れない。今年の最初に登った四国の石鎚山もゆかりの山だ。今年の正月に登った時、成就神社の山門まで降りてきて、エンノオズヌが口にしたという言葉を私も口にしてみた、我が悲願成就せり。悲願とはSocietasのことだ。


石鎚山成就神社近辺からの風景

 女人禁制は様々な社会議論を呼ぶ話ではあるが、一つぐらいそういう山があってもいいと思う。何しろ、一つしかないんだからこその価値だし、だからこそ稲村ヶ岳も女人大峯と呼ばれる。女性が上るようになれば、あの参道の物々しさはなくなってしまうだろう。山道にしては不気味だもん、どう考えたって。そうなると、山頂のお花畑が星に見に来るアベックでいっぱいになるんだろうなーそれも何か違うよな。でも、いつか、天気のいい日に夜に登ってあそこの山頂で寝そべって夜空を見たいな、降ってくるぐらい綺麗な星空だろうな。

 今日のブログは全く落ちがないので、最後に決意表明を。 

もし、悲願を達成したら吉野から熊野までの大峯奥駈道を縦走する。

 追伸
 山から下りてきた娘さん、君の心はどこにもおかないように。