わたしたちはどこにいくのか


今回の内容は本当にブログで、私がぼんやりと考えていることです。

私は社会人を何年か経験した後に、社会人大学院にて経営学修士を取得しました。
いわゆるMBAってヤツです。いろいろ学びました。レポートもしこたま書きました。プレゼンもガンガンやりました。カメラ回しながら英語でプレゼンもやりましたし、ゴリゴリの情報処理系の学生ばかりの完全アウェイの中、マーケティング路線で学会発表をして企業賞をいただいたのも、いい思い出です。

でもね。MBAで学ぶ、バーニーだとか、アーカーだとか、それはそれで素晴らしんですけど、段々小手先のテクニックに思えてくるんですよ。企業を存続させることはとても重要です。しかし、そこには哲学が必要であると。

資本主義大国のアメリカが「貧困大国アメリカ」で描かれているように、一部のグローバル企業が巨大になりすぎて、さらにロビー活動で政治家も抑えられ、自国民の健康を害してまで企業が肥えていく。さらにその影響は全世界にまで及ぶ。
タックスヘイブン」では、租税回避地をうまく使い、利益を上げ、株主重視の経営を行う。で、税額が減るそのしわ寄せは私たち善良な市民にまわってくる。そんな企業、嫌やわ。(でもみんなアップルもドルチェ&ガッバーナも大好きですよね。)

このグローバル企業のやり口というのは、企業価値の最大化を目指す上で、非常に合理的な判断のもとになされているというのが怖い。だって、MBAで教えられるものこそが、企業価値の最大化ですから。

私がMBAを取得したのは、キリスト教が根底にある関西学院大学です。そこでは、「企業倫理」が必修科目でした。コンプライアンスやCSRも含め、企業理念こそが企業が立ち戻るところである、という科目。(これが必須科目である関西学院大学は素晴らしいと思う。)入学式でも「研究に研究を重ねて、その結果、原子爆弾を作ってしまったオッペンハイマーのようになってはいけない。みなさんの研究が誰の何の役に立つのかを考えながら研鑽をしてください」という話がありました。クリステンセン教授は「イノベーション・オブ・ライフ」を書いたように、企業価値の最大化だけが目的になっては道を誤ることもあるのだろうと。フォード・ピントの事件のように。

私たち、研究開発部が毎年開くオープンラボでいつも「人のしあわせ」だとか言ってるのは、青臭ぇなァと思うのですが、これからの日本と世界の課題に企業としてどのように関わっていけるのかを模索している最中だと思っています。青臭えなぁと思いつつも、私も、Lifelong Learning Commitment を肝に銘じて、多分一生もがくしかないんだろうなと思っている次第です。

追記

1,ちなみに「イノベーション・オブ・ライフ」の英語題名は「How will you measure your life?」とのこと。ミュージカル「RENT」の「Seasons of Love」の歌詞と同じですね。(How do you measure a year?)どのようにyour lifeを、a yearを測りましょうか。

2,このブログ書いた理由は、富が世界の一部に偏っていくことに恐怖を感じたからです。地方消滅を読んで、荒廃したデトロイトが舞台の、エミネムの8mileみたいな世界が、日本にもやってくるんじゃないか…などと思い。


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