時代を語るな、想像力を語れ


時代を語るな、想像力を語れ、

と大江健三郎氏は言った。私自身、優柔不断で言っていることはコロコロ変わる。昨日、一昨日はおろか、ついさっき断言したことでさえ、すぐに翻す。そんな性格の私にとって、数少ない、ぶれない部分がこの言葉に集約されている。

創造と想像。発音は同じであるが、漢字に表現することで全く意味が違ってくる。創造とは、神の仕事である、と私は思っている。本当の意味での創造とは、私のような凡人には成しえない仕事なのだ。

では、世間一般に言われているクリエィティブな仕事とは、いったい何なのだろう?責任を放棄したい若者は、もっとクリエィティブな仕事がしたいと不満を漏らす。彼らは何をもってクリエィティブな仕事だと思っているのだろうか?流行を追うこととクリエィティブを勘違いしている人もいる。知的な仕事や芸術的な仕事をクリエィティブだと思っている人もいる。見出しに採用した言葉の通り、前者は問題外だ。流行は追えば逃げる。追うものではなく、自ら仕掛けるものなのだ。仕掛けて待っていれば、必ずやって来る。仕掛けるためには、想像力がいる。あらゆる想像を客観的に評価して行く必要がある。想像の積み重ねが、仕掛けを生む。後者の考え方の人はまだましかも知れないが、知的だ、芸術だ、と何となく思っている行動は、流行の仕掛けを作るのと同様に、単なる想像力の集合としてとらえることもできる。とすれば、一般的に使われている創造と言う言葉は、訓練された想像の集合なのかも知れない。

何か、企画を考える時、計画を立てる時、時代を語っているだけじゃないか、ちゃんと想像力を働かしているか、と問いかけてみる。レポートを書くときも同じだ。常に想像力を働かせ、ストーリーを作り上げる必要がある。

言うのは簡単だが、実行するのは難しい。なぜなら、意識し、問いかけて評価するしかないからだ。しかし、積み重ねが訓練になる。また、やっていて苦痛はないどころか楽しい。そうやって意識づけしておくことで、ある日突然いい考えが頭に浮かんでくることがある。だったら、やならいより、やった方がましだ。そう信じて生きてきた。

今、3年後に研究開発グループは何を成し遂げているのか、を想像中である。ポッと湧いては消える、ポッと湧いては消える、の繰り返しである。何となく、もやっとした霧の中に自分が立っている気がする。それでも、常に想像し、問いかける、時代を語るんじゃねぇよ、と。いつか、陽が差し、光の筋が見えて、この霧も晴れるだろう、このメンバーなら、そう信じて、私は想像し続ける。


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