フィールド情報学を読みながら


『フィールド情報学入門―自然観察,社会参加,イノベーションのための情報学―』(京都大学フィールド情報学研究会編)では、
“フィールドは、「分析的、工学的アプローチが困難で、統制できず、多様なものをが共存並立し、予測できない偶発的な出来事が生起し、常に関与することが求められる場」である。フィールド情報学は、フィールドで生じる諸問題に対して、情報学の視点からその解決法を提案することを目的としている。その構成要素は、記述、予測、設計、伝達からなり、その方法は多岐にわたる。”
とした上で、下記9つの方法について紹介されている。

  • リモートセンシング
  • バイオロギング
  • システムダイナミクス
  • ヒューマンセンシング
  • エスノグラフィ
  • ケースライテング
  • インクルーシブデザイン
  • マルチエージェントシュミレーション
  • アウトリーチコミュニケーション
  • タイトルに入門書とあるとおり、これらを概観できる構成になっており、
    それを読みながら考えたことを書いてみたい。

    メソッドありき?データドリブン?

    本書にあるような“起源の異なるさまざまな方法”を読んでいると、
    「1つの手法や単一の方法で収集したデータのみを前提にしていないか?」と省みることの重要性を感じた。
    データドリブンという言葉に(過剰に)踊らされ、目前のデータにとらわれているということはないだろうか?
    もちろん、特定の効果的なメソッドを活用しようとすることや、今あるデータから始めるということは、重要なきっかけであるし、その一歩に価値がないということは決してない。
    ただ、さらにその枠を超えて、広く発想し自由に思考することを常に心がけていきたいと思う。

    最適なN数とは

    本書では、ウミガメの生態についての研究(バイオロギング)のN数は3、それを3セグメントにわけて、それぞれN数1でレポートされている。
    そういえば、「新しい社会の人間科学」の講義の中で安西祐一郎先生が「サイエンスの分野によって研究方法がかなり違う。たとえば、霊長類学などは1匹のサルを観察してサルの特徴としてレポートする。実験心理学などでもN数は数人から数十の場合も多い。」という内容の話があったという記憶がある。
    サイエンスといえど世界は広い、その知見を統合活用することの重要性を本書は示していると思う。

    アイトラッキングと周辺視

    ヒューマンセンシングの1つにアイトラッキングがある。
    先日、ある研究フォーラムで発表者と話していて、周辺視をアイトラッキングすることはできず、事後インタビューで測定しているという話を聞いた。
    周辺視といえば、高校時代のクラブ活動で「組織ディフェンスがうまくいかないのは何故だろう?」と考えていて、当時原因として気づいたのが「みんな周辺視が使えていない」ということがあった。そのため周辺視の使い方をチームに落とし込むトレーニングをするために、周辺視に関していろいろと考えたり省察したりした。
    その経験から言うと、周辺視というのは普段は意外に気づいていないが、それを使っている時と使っていない時の差は想像以上に大きく、無視できないほどの多大なヒトの認識能力ということ。
    まさかアイトラッキングと組織ディフェンス強化の経験が繋がるとは思いもしなかったが、周辺視をどう考慮するかというのも実験計画する上で興味深そう。

    Best of both worlds!!!

    弊社ニューロマーケティング・プロジェクトは、EEG(脳波)というヒューマンセンシングと、人の意識(アンケート・インタビュー)のデータを統合する試みを続けている。
    その成果は、2013年人工知能学会全国大会Best of both worlds: Integration of EEG and survey data for TV commercial evaluation(ベルタンら,2013)などで発表し、また2014年3月にニューヨークで開催される「ニューロマーケティング ワールド フォーラム」でも弊社ベルタンが講演する。
    講演タイトル"Combining Objective and Subjective Information"
    これに向けて調査分析の真っ最中であるが、本書を読みながら、よく考えるとエスノグラフィの要素も計らずとも含めながら進めているのではないかという気がしてきた。この点に関してはもう少し整理していきたいが、少なくともインクルーシブデザインは見据えながら推進しているとあらためて再認識した。

    エスノグラフィ≒司馬遼太郎をする!?

    専門家の方からお叱りを受けるかもしれないが、
    エスノグラフィとは、究極的には「司馬遼太郎をする」ことだなと思った。
    私は旅に行く前には『街道をゆく』(司馬遼太郎)を読むことにしているが、そうすると旅先で出会うコトに対してもその背景を理解でき、いろいろと深く話ができたり共感できたりする。その『街道をゆく』のような作品を書くことだなと。
    「人生とは旅であり、旅とは人生である」と言いつつ引退した人を思い出しながら、「コト」の研究とは司馬遼太郎さんがしてきたことと同じように考えればいいのかもしれないと思いを巡らせた。何となく。

    歴史に学ぶということ

    ケースライティングの章を読みながら、よくあるケーススタディに関する批判に対して、徳川家康の関ヶ原の戦いのエピソードを思い出していた。
    史実かどうかは知らないが、小学生のころに読んでいた『まんが人物日本の歴史 徳川家康』には
    「関ヶ原の戦い」の望む直前の家康が「三方が原じゃ!」と叫ぶシーンがある。
    それは、若き日の家康が三方が原の戦いで武田信玄に苦杯を飲まされた敗因、つまり武田信玄が三方が原でとった戦略をこの関ヶ原で実行すれば勝てるとひらめく瞬間なのだが、ケーススタディというのはまさにこのことだろうと。
    三方が原と関ヶ原では場所も相手も状況も異なるが、“原理原則”は同じで応用できると家康は判断した。
    この“原理原則”というのは、マハンの教えとして『坂の上の雲』にある秋山真之の米国留学時代の逸話としてある。その兄の秋山好古は日露戦争で世界最強と謳われたコサック騎兵を破るが、その“原理原則”はサッカーUEFAスーパーカップで年間最優秀選手であったロナウジーニョを抑え勝利するセビージャに見られると思うが、セビージャの監督が決選前に「秋山好古じゃ!」と叫んだかどうかは知らない。
    とにかく、ケーススタディを価値あるものにするには、マハンの言う“原理原則”を見出すことが重要なのだと思う。

    以上、思いつくままに雑記。


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