90歳のおたんじょう日


暑い、この球場がクローズアップされるようになると、夏なんだな、と思う。光と熱。そして、汗と水と土埃。喉の渇き。草いきれ。思い出の臭いも色も分散して複雑な、そんな季節だ。

2アウト3塁。サヨナラのチャンス、代打の関本が歩かされた。福留はそれを見ていた。何でもええ、打ったる、来た球を打つ、それしかないやろ、そう思ったに違いない。あっと言う間に追い込まれて2ナッシング。あとはない、そんなことは多分考えていない。打ったる、来た球を打つしかないやろ、そこでもやっぱりそう思ったはずだ。アウトコースの低め、うまく拾った球はショートの頭を越え、外野で弾んだ。

大きな地響きが球場全体を包んでいた。地響きのように、腹の中心から沸き起こった笑いだ。そう、90歳のじいさんが、腹を抱えて笑っていた。

野球から学んだことは多い。何よりも人とのコミュニケーションを教えてくれた。自分自身の怒りも悲しみも喜びもそこで学んだ。それを共感する大切さもそこで学んだ。

じいさんの名前は、甲子園球場。

よく、あそこで遊んだな。あの球場の歩みと共に私も大きくなった。そこは、まるで庭だった。私の心の庭。

甲子園球児とプロ野球選手だけじゃない。もちろん、野球をしている人だけじゃない。野球を見ている人だけじゃない。子供の頃は、3塁側のベンチ上で待っとけ、が果し合い、喧嘩の合図だった奴もいた。そいつは、なぜか、1塁側は使わなかった。それはアウェイの好敵手に対する敬意だったのだろう。大人になってから、甲子園ボウルのたびに懐かしい悪ガキと再会できた奴もいただろう。多くの人の、本当に多くの人のたくさんの熱い思いを、じいさんは、その腹で受け止めて来た。じいさんが怒るとみんな怒り、じいさんが泣くとみんな泣き、じいさんが笑うとみんな笑った。じいさんの腹は広くて大きくて暖かかった。そのじいさんは、素敵な90歳になった。若干、緑色の髭を剃ってしまって寂しい思いはあるが。もう、髭を生やすことで偉そうに見せる必要もなくなったと言うことなんだな、きっと。

 

このじいさんが教えてくれたこと、情熱と粋。そして、啓蒙。

じいさんの言葉は、いつも時代の中にあって、時代を語っていなかった。想像力を超える情熱を語ってくれた。そして、その言葉はいつも粋だった。

それは、私たち子供を魅了し、啓蒙した。私たちは、あなたの言葉で大人になった。一人で歩かなければ生きていけないことを知った。運命を切り開くのは人ではなく、自分だ。あなたの腹の上を歩いて躍った子供たち。その中の一人として私がいて多くの君がいる。

じいさんのところに今でも大勢の子供がやって来る。じいさんはたいてい笑っている。でも、時々怒り、時々泣く。少しお茶目な、少し我儘な、我が道を行く素敵なじいさんだ。

いつか私もそんな90歳を迎えたい。


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