137億年の物語、あるいは正しく問うことの重要性


『137億年の物語:宇宙が始まってから今日までの全歴史』を読んでいる。
著者の講演@東京大学でも、日本には学問の領域を超えた総合的な学部があると言及されていた記憶があるけれど、たしかに本書を読み進めると、Amazonでも“理系と文系が出会った初めての歴史書”と紹介されている通り、歴史、生物、地理、物理の知識が1つストーリーとしてつながっていく。たとえばミトコンドリアを本書のような全体の流れで知ることはおもしろい。

ただ、本書のポイントは、このように学問の枠を超えて編纂されていることだけではなく、
“問いかけ”の設定にあると感じた。

たとえば、
第1章は「ビッグバンと宇宙の誕生」で、物語はまずビッグバンからはじまる。
「ビッグバン、知ってる知ってる、説明の仕方うまいなあ。」とか思いながら1ページ読む。
すると、“問いかけ”が出てくる。

「では、なぜ科学者たちは、そのようなとてつもないできごとが起きたと信じているのだろう。だれかが目撃するはずもない、遠い過去のことなのだ。」

と。
そして、天文学者がどうアプローチしていったかの話が進んでいく。

また、物語が続き、宇宙そして地球が生まれところでの、"問いかけ”にも目がとまった。

「生命はどこからきたか」
「(『生命体を含まない物質が、自ずと生命を宿すことはない』)が正しければ、生命の存在しない地球では、どれほど単純な生命体でも、自然に生まれることはないのだ。では、いったい何が起きたのだろう。」

「おっ」となる。(教養のたりない私なんぞは)

さらに、第6章では、

「最初に地上に現れた植物は、海藻やコケに似たどろどろしたものだった。」
「そのような水っぽいコケの塊を、背の高い優美な木に変貌させ、水際から何千キロも離れて暮らせるようにするのは、非常に困難」
「大地にそそり立ち、豊かに葉を茂らせる木を創るのがどれほど大変か、考えてみよう。まず、しっかりと直立する幹が必要になる。理想をいえば、高さは40メートルほどで、ハリケーンに耐える強さがほしい。次に、水分と養分を、全体に休みなく届けるシステムもいる。エネルギーを作り出すのは枝先に生えている葉の役目なので、この葉をできるだけ太陽に近づける必要がある。うっそうとした森で日光を確保するには、他の木より高くなった方がいいのだが、背が高くなれば、地中にある水を先端まで吸い上げるのが大変になる。このジレンマをどう解決すればいいだろう。」

この問題提起のもとに、維管束、蒸散、浸透圧、胞子と種子の物語が展開されていく。それぞれ個別には既に知っている内容ばかりだけれど、このようにストーリーを構成されると、全くちがってみえてくる。

そして、本書を読みながら、“問い”の設計の重要性をあらためて痛感する。

ところで話は変わるが、
137億年の物語をホモサピエンスのあたりまで読み進めた翌日、パナソニックがラグビートップリーグで優勝した。
ふと中1の頃の主将(中3)の言葉を思い出す。
「(ずっと前方を指して、)まず空いているところ見つけるやろ。そして、そこにステップとかパスとか使って行くねん。」
手法論に陥りがちな現場が多いかもしれないけれど、技術を何に使うかの重要さを中学生の時につたえてもらったのだと再認識できたのは、本書を前夜に読んでいたからだろうか。

様々な手法・技術を使い、何をするのか、何のためにするのか? ― Howの前に、WhatとWhy
さて、今日の分析をする前に、リサーチ・クエスチョンを見直してみようかと思う。


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