読み間違いを考えすぎる


少し前に、社内の予定などを管理するシステムで、徳見さんが

「代休」

と書いていたのを

「ん?ばっさい?」(伐採)

と読んでしまいました。

「代休」の見間違いと気づいたときには「ふふっ」となってしまい、すぐに隣の高椋さんに言って確かに「伐採」に見えるという同意を得ました。

どうでしょう、みなさん、「代休」って「ばっさい」って読みそうになりません?私と高椋さんだけですかね?

冷静に考えてみる

ちょっと考えてみれば、社内の予定を管理するシステムに「伐採」なんて言葉が出てくるわけないのですが、なぜか私はとっさに「ばっさい」と読んでしまった。ていうかなんだ「ばっさい」って。意味飽和起こしてきたぞ。・・・まあそれはそれとして。

まず、字面が似ています。「代休」と「伐採」。「休」の左はらいの部分が「代」とまざって「伐」みたいに読めてしまったのかもしれません。そして、「休」と「採」には同じ「木」という字が含まれています。
さらに、「休」の「木」という字が「木」のイメージを誘発して「木を切る」という意味の「伐採」が思い起こされやすくなったのかもしれません。

きっと私はこの二重、三重の罠に同時にかかってしまったのではないかしら。

意味ネットワーク

人間の知識の構造として、意味ネットワークという考え方があります。ひとつひとつの言葉(概念)は意味的につながっていて、ある言葉を聞いたり見たりしてその言葉が活性化されると、その言葉に繋がっている別の言葉も活性化されやすくなる、つまり思いだされやすくなる、という考え方です。この考え方はかなり強力で、認知心理学ではそれを元にしたプライミング実験など、いろいろな実験手法があります。

さっきの「休」の「木」が「木」のイメージを誘発して「木を切る」「伐採」という言葉を思い起こさせたのか?という仮説は、まさに人間の知識を意味ネットワーク的に解釈することによって成り立つ仮説です。つまり、「木」という言葉と「伐採」という言葉が意味的に繋がっているからこそ、「休」という字から「伐採」が思い起こされたのではないか、ということです。

いろいろ考えると、けっこうな現象を意味ネットワークで説明することが可能です。

他にも例えば、ダジャレや冗談がものすごい勢いでポンポン出る人は、各言葉間の繋がりがとてもよく構築されていて、意味ネットワークが発達している人なのだろうと思います。
こうした方々には常々とても感心しながら、この人の意味ネットワークどうなっとんだ・・・といつも不思議に思います。

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とすれば、私は「代休」を「ばっさい」と読んだとき、「木」とか「山」とかいう言葉に触れていたり、そうした話題に接していて、「伐採」という言葉が活性化されやすい状況だったのか?
いや、まったくそんなことはなかった・・・特に草木を愛でていたわけでもなく、山に行ったわけでもなかった・・・そしてそんな話もしていなかった・・・
ならば、私は普段から「木」とか「山」とかいう言葉を常に意識して普段から「伐採」という言葉が活性化されやすい状況にあるのか?
いや、そんなことはまったくない・・・「山」とか「木」とかに強い思い入れはないし、普段はずっと家にいる・・・私は家が大好きだ・・・

ではなぜとっさに「代休」を「ばっさい」と読んでしまったのか・・・?

・・・

結論。

ただ単に疲れていて目がかすんでいたから、ですね、きっと。
簡単なことをいろいろと考えすぎてしまいました(苦笑)。


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