解釈することの価値は何か


巨人の肩の上に立つ、という言葉が大好きです。先人たちの功績が積み重なって巨人が出来上がり、その肩に立つことで自分は遠くを、それもほんの少し、巨人よりも遠く(新しい知識)を見渡すことができる*¹、というような意味合いかと思います。ただ、巨人が見渡そうとする世界はそれ以上に広大で、まだまだ未踏の地があるだろうと思います。そんな風に思いをはせていると、

  1. 自分がちっぽけながらも、いずれ巨人の細胞の一部になるだろうこと
  2. それでもまだまだ足りないほどに世界は偉大であること
  3. それでも巨人を成長させる糧となる、人間の知的欲求は留まることを知らないこと

そういったことが感じられ、なんだか幸せな感覚にひたる、というわけです*²。

 

さて、そんな中、消費者行動予測とはなんだろう*³?などとぼんやり考えていてふいに思ったのが、今回のタイトルです。人は世界をより良く見渡したいと思い、「なぜ?」と問い、現象の因果関係を見出し、そのメカニズムを「解釈」し、理解したと判断します。ただ、人間にとって納得感があるからといって、その解釈は本当に正しいと言えるのか?と疑問に思ってしまいます。実際の世界は人間が理解できないほど複雑だという考えが根底にあるからです*⁴。

 

マーケティング/消費者行動の世界でよく引き合いに出される例に「おむつとビール」があります。「おむつと一緒に買われている商品は意外なことにビールだった!*⁵」というお話ですが、ビジネスへの活用上2つのアプローチがあります。

  1. データから相関が分かったので、おむつとビールを並べて陳列した
  2. おむつはかさばる商品なので、母親は父親に買ってくるように頼み、その父親がついでにビールを購入した(のが、この2つの商品の相関の真相だ!)

 

アプローチ1は純粋にデータから有意義な事実を抽出し、それに基づいた素直な意思決定を行っています。一方アプローチ2ですが、これはデータだけから得られたものではなく、観察や想像をもとに人間が行った「解釈」です。なぜこのような解釈を試みるのかというと、理解したいから、という欲求はもちろんですが、見出した解釈から価値を拡張できるからです。アプローチ2のように解釈を行うことによって、

  • 「買い手が父親ならついでにつまみも並べてみよう」
  • 「おむつのパッケージデザインは父親と赤ちゃんにしてみよう」
  • 「おむつの定期宅配サービスを始めれば、シェアを奪えるのでは!?」

などなど、様々な施策を立てることができ、ビジネスの前進につながります。ですが、その解釈の妥当性を確認するのは、そう簡単ではありません。データが示した過去と検証する未来は同一ではありえないからです。それにそもそも、ひょっとしたら、出産前飲酒を絶っていたお母さんがついにその忍耐から解放されたため、という解釈もできるかもしれません*⁶。そうすれば、また打ち手は全く違ったものになります。

 

ここまで来て、タイトルのようなことを思ったのです。一生懸命解釈を試みる対価として、僕たちは「世界の正しい理解」を求めがちですが、実際問題正しく理解できているかは厳密には分かりえない。それならばいっそ解釈を加えるのなんかやめて、純粋に変数間の関係性を見出すことに注力し、有意義な予測が行えれば良いではないか。ちょっと道具主義的な考え方です。これはこれで理にかなっている気がします。

 

…と言いつつも、道具主義的な考え方の有用性を認めつつも、納得感のある解釈を行うことは、僕は3つの側面で、やっぱり価値があると考えています。

  1. (少なくともマーケティング/消費者行動理論に関しては)人間の心理が行動に大きく影響していることは疑いないので、自分自身が納得・共感できることは、他の多くの人にも当てはまるはずだ。だから解釈が正しいかの検証において「(ヒトとして自然な)納得感」を用いることは妥当であり、施策の成功確率を上げるうえでも有効だ
  2. 解釈を基に理論を作り、それに基づいた検証を行い精緻化するサイクルを繰り返すことで、いつか実用に耐えうるレベルでの理論が出来上がるはずだ
  3. ビジネスにおいては意思決定のための「根拠」こそ重要であり、データという事実とそれについての納得感のある解釈は根拠としての価値を持つ。実際に正しいかどうかは、主な論点ではないのだ*⁷

 

ということで、僕個人としては「解釈することは価値があるのだ!」という結論に行き着きました*⁸。ただし、現象の解釈についてはとかく後付け論になりがち*⁹。ビジネス成果に貢献するという意識は持ちつつも、方法論的に正しい知識を身に付け、注意深く事実と論理を積み上げていく必要があります。そして、緻密に考えを積み上げていって最後に拠り所となるのは、ある本に書かれていた次の一節なのだろうと思います。

現実的に正しいことだけが正しい*¹⁰

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

#追記

最後までまとまりなく物思いにふけってきましたが、このあたりを体系的に整理してくれていそうな論文を見つけました。やっぱり巨人の肩の上に立つというのは、素晴らしいです。

→ 阿部周造(2013)「消費者行動研究と方法」,一橋大学大学院商学研究科

 

#注釈

*1:『肩に立ってるなら巨人のほうが目線は上やろ』と思われた方へ。こまけぇこたぁいいんだよ、ってやつです。

*2:「鋼の錬金術師」の『全は一、一は全』とかいうあのくだりめっちゃ好きです。

*3:弊社R&Dが実現したいことの一つです。

*4:そのうち相対主義/極端な懐疑主義者になってしまいやしないかと、不安な夜もあります。

*5:このブログでは、『データから意外な発見が得られた」という視点ではとらえていません。

*6:無知な僕がこのブログのために創り上げた完全な妄想です。

*7:ちなみに思想に関しては、間違いなくこのスタンスに立ちます。司馬遼太郎「世に棲む日日」に『思想とは要するに論理化された夢想または空想であり、本来はまぼろしである』という秀逸な文章があり、オススメです。

*8:当たり前の結論に至るまであれこれと考えてしまうのです。不器用なので。

*9:ローゼンツワイグ「なぜビジネス書は間違うのか」はまさに快刀乱麻。

*10:「思考・論理・分析」です。読むたびにこの本の質の高さに気づきます。

 

 

 


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