美を教えてくれる小さな窓


小さなのぞき穴から聴こえる
疲れた女性の声
幻想というジャンルの真実
その穴は美の世界への招待状
真昼の輝きを失った愛憎も時には美しい

夜に燃え昼に死ぬ深い化粧の中に沈んだ
その心も時には美しい
小さなのぞき穴から聴こえる幻想
神への怒りであればあるほど美しい
それが美への招待状
起伏のあるオーガスムスが胸を突く
とげとげの平静
誰にも聴こえない美の世界

 美に限らず、意識というものは見えるものではないのだろうと思う。意識した瞬間に見えると思うのは間違いだ。意識したらようやく聴こえる。そういう類のものだ。ましてや無意識なんて、となるわな。
 逆に、えっと、何が逆か分からないが、無意識は見えるものだと思っている。意識は聴こえて、無意識は見える。それが人の性だ。無意識の方が分かりやすい。とても、正直で素直だ。無意識に美の世界はあるのだろうか、とくだらない質問はしないでほしい。それが、いわゆる、一般的な美だ。皆が見ている美は無意識のものだ。
 問題は、見えないがときどき聴こえる意識の方だ。そこにきっと研ぎ澄まされた真実の美がある。見える無意識の美を描くと本当に美しいものが出てくる。それは立派だ。でも、それはありきたりで美しくない。DNAに組み込まれた標準だからだ。見えない意識の美を書きなぐろうとすると描いた絵はたいていぐちゃぐちゃになる。ぐちゃぐちゃでありながら、何か不安なリズムのある統一的な音が聞こえる。音のような絵ができる。視界がないのだからしょうがない。音のような絵を描きながら、ずっと過ごしているのは、一定の美意識が消えてしまった大人だけではない。子供はそうやってそれを乗り越えて大人になる。神様は何でそんなまどろっこしい過程を組み込んだのだろうか。とても不思議だ。分からないでもない。神様の試練はたいてい分かりやすい。きっと、乗り越えられるから、という安易な理由だ^-^。
 音のような絵に取りつかれたのは大人になる直前だ。それまでは、普通以上に絵が描けた、はずだった。今はどうも酷い方向に向かっているようだ。治る見込みはなさそうだ。治ったら、もっと人を魅了する、とても素敵な言葉がぽんぽん湧いてきそうな気がするんだけど・・・
 その音のような絵が、美なのかと問われると正直分からない。わからないが、それが美しいと教えてくれる小さな窓がある。きっとそれが美への招待状だ。その招待状を受け取るとまともな美の視覚が失われる。


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