経験主義と合理主義


言語学者を一人クビにするたびに、システムの性能が向上して行く、と言う有名な言葉がある。統計的アプローチが言語処理の世界を席巻し始めた頃、目の前で起こった現実であった。

研究開発グループのブログを始めることになった時、本当は最初の投稿をこのタイトルで書くつもりだった。随分前からタイトルだけは決まっていたのに書かかったのは、何かすっきりしない、もやもやしたものが自分の中にあって、要するに書けなかったのである。これを私が論じるには、このテーマは重過ぎると感じていた。近いうちにいつか書かなければ、と思いつつ、それとなく、いや中途半端な形ではあるが、グループの何人かに思いは伝えようとしていた。そうこうしているうちに、5月号の人工知能学会誌が自然言語処理研究の将来を表題のテーマで語る「ポスト経験主義の言語処理」と言う特集を組んだ。自然言語処理研究ではトップレベルの研究者である7名がそれぞれの考えで過去、現在、将来について述べていた。特に、辻井氏の寄稿は特筆すべき素晴らしいものだった。合理主義と経験主義を2項対立で単純にとらえることはできないが、とした上で、言語処理の課題に関して、様々な角度から両主義を映し出し、最後に、語りきれなかった事象について、アイデアの方向性を示唆してくれていた。機械が人間のコミュニケーションを獲得するためには、どちらの考え方も必要なのである。

前に書いたが、相場における話で、目の前の株価(データ)のみを信ぜよ、と言う言葉は、ただ単に経験主義的なアプローチを信ぜよ、と言う、データ至上主義から生まれた言葉ではない。経験的に得られたものか、合理的に得られたものかは知らないが、相場を仕掛けている以上、ファンダであれ、テクニカルであれ、合理性のある何らかの仮説をもっているはずだ。それが想定外の範囲で動いたと言うことは、あなたが信じたその仮説は崩れたのである。そのことを即座に理解し、目の前の現実を信じて行動しなければならない。ゆっくり理由付けをしている暇なんかない、と言う意味である。

私も過去に目の前で起こった現実を信じた。それが合理主義から経験主義への転換点であった。自然言語処理の世界において、統計・確率的なアプローチによる経験主義がもたらした利益は大きいと思う。高頻度の単純な現象に関する問題をさくさくと片付けた。しかしながら、そのアプローチは、難易度の高い問題、あるいは低頻度ではあるが重要度が高い問題を後回しにすると言う、不利益をもたらした。例えば、深い意味解析であるとか、知識獲得であるとか、対話理解であるとか・・・大量に処理できるデータを集めることが難しい、しかしながら重要な問題については、解決できていない。そういう意味では、我々は遠回りしながら、結局、本当の答え、コミュニケーションに関する答えをまだ誰も持っていないと言うこと、まだ誰も獲得できていないことに気付こうとしているのかも知れない。安直な道具主義に陥ることは極めて危険だ。真のコミュニケーションを獲得するためにも、等閑にして来た問題に立ち向かうべきだ。もう一度原点に立ち返り、合理主義から目を背けてはならない。

要するに、確率論だけでは、「愛とおもてなし」は伝達できないのである。


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