竹光


目の前に一冊の本がある。折り込まれたページから、どこの小料理屋だかわからない箸袋に「御笑覧」と書かれた紙切れが出てきた。紙切れは、黄ばみが酷く傷んで痛々しい。25年前、無名の詩人に貰った本だ。詩人は、酒の席で書いた私の詩を見て言った。「これ、頂くよ」彼は当時52歳だった。詩人は私の憧れだった。知りはしないが、小林多喜二の追悼会を仕切った頃の詩人には、エネルギーがみなぎっていたに違いない、と。詩人が言う彼が当時発した詩らしきもの、政治の季節のアジテーション、自身でそう揶揄するものを含めて全てが好きだった。

「ご老人方は批判するだろうがね、君の詩には、簡単に真似のできない一定の音律があるんだ。わかるかい?」彼の言葉の意味が私には解らなかった。「竹光だよ」そう言って、あるページを指差しながら、彼は私にその本を渡した。そして、その瞬間から、私の記憶は薄れて、ほぼ記憶がない状態になっていた、本を開いた今の今までは。

本を開いた瞬間、そのページに紙切れが差し込まれたまま、25年もの間、ダンボール箱の中で静かに眠っていた言葉が蘇って来た。

たんぽぽや

おおばこを摘む

餓えた人影が

かすかに揺れ動くと

驚いて荒地を突っ走る野鼠

狂気のようにあとを追っていく鼬

好物の野鼠を狙っているのか

鷹が一羽

心なしか湿っている空気を切って

静かに旋回している

“「竹光」てん末記”と言うタイトルの詩は、確かに美しい韻律で始まっていた。現代詩の形式はそこで終わりだ、その後に史実に基づいた物語が始まる。

江戸時代の安政年間、「音七」と言う男がいた。彼はそもそも百姓だ。ただ、土地を持たず、金持ちの下男として生まれたことが史実に残る悲劇を生む。彼は、人の心を惑わすような美形だった。彼が、容姿以外に初めて手に入れた力、それが立派な脇差だった。しかし、その中身は、竹光だったのである。

それでも、音七は出奔し、忍びの役人と偽って、随所に出没する。容姿端麗で、男女問わず惑わす堂々とした姿に、疑うものはなかったという。「おのれの影さえもが遠慮がちにのびている他人さまの土地で」というのが、その時の音七の身分であった。「悪を切るときには、竹光とて白刃となり」という噂が立つほど、無法者の曲がった正義に、人々は痛快さを覚え酔いしいれたが、奉行を威嚇し、脇差の紐を解いたところでお縄になった。最期に及んで「松風」を歌い、泰然として処刑された。まるで能舞台のような妖艶な姿に多くの人々が集まって泣いたとのことだ。

傷はしやその身ハ土中に埋もれども、名ハ残る世のしるしとして、変わらぬ色の松一本(まつひととき)、緑の秋を残す事乃哀れさよ

恋草乃 露も思いも乱れつつ、露も思ひも乱れつ・・・神の助けも波の上あわれに消えし、憂身なり

夜も開けて村雨と聞きしも今朝見れば、松風ばかりや、残るらん、松風ばかりや残るらん・・・

音七は、唄を最後まで読めたのだろうか。首が飛び・・・ドラマは終わる。

あのとき確か、詩人は、私にもう一度繰り返したと思う。「竹光なんだよ。誰も才能なんか持っていない。そう見えるのは自分が努力していないからなんだよ。自分にできない努力をする人のことを人は天才と言う。自分がやりたいことをやってくれる人を見て痛快に思う。私にも君にも才能なんか無いんだよ。私が欲しい君の詩は、君の汗なんだ。たぶん、音律はそこから来る。だから好きなんだよ」彼の言葉が脳の奥の方のからきりきりした痛みを伴って、それでもやんわりと蘇って来た。

なぜ、「竹光」だったのか、ようやく分かった気がした。

・・・・

さしずめ、私が想像する「竹光」の物語は、こんな書き出しで始まる。

腕を振ると風が鳴った

朝の陽の光を浴びて振り返り

振り返った先には何があるのだろうか。おそらく、誰も通ったことがない道なき道に違いない・・・

私は、「御笑覧」と書かれた紙切れをゴミ箱に捨てた。

気が付けば、私も詩人に近い年齢になってきた。

ということは、この難しいニュアンスを誰かに託さなければいけないということか。

これは、なぞなぞだな、まるで。


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