歩きたいから歩く


谷井さん(弊社代表)が少し前に朝礼で四国の巡礼の話をした。2度目だ。1度目の話は、奇跡の話だ。私は、胸が詰まって、それが奇跡だと実感した。ただ、私の口から言えるのはそれだけである。そして、2度目の話の中で、室戸岬と桂浜の間の淡々とした道のりの話が出た。何の変化もない海岸沿いの道。なぜ、歩くのだろう、変哲もない風景に小さ目標設定をしてみる、なあそこまで何歩かかるか、数えながら歩く、妙な達成感、そんな言葉を聞いて、懐かしくて、また涙が出そうになった。もちろん、私の歩く想いは谷井さんとは全く違っていて、重さもきっと違うのだろう。でも、今の私には、あの日があったから今があると思えてならない。あの道には、色んな人の思いがばらばらに、いや、賑やかなのだろうか、そんな気もするが、寧ろ整然として、音も立てずに詰まっている。歩いていると、静かな、そして、暖かい、でも、狂暴な感じがする音が耳を刺すのだ。

神戸の深江からフェリーに乗って四国の徳島に渡ったのは、19歳の時だった。今から、32年前の話だ。私も連れも、あまり、立派な人間ではなかった。不良と言う方が当たっていたかも知れない。連れは、毎日、パチンコをして、金に困っては恐喝をしていた。地元の駅前で暴力沙汰を起こし、目撃者が大勢いて、まずい状況だった。なぜ、四国に逃げようと思ったのかは、はっきりと覚えていない。ただ、その連れが言った、中学の時、自転車で走った、その道が忘れられないと。それだけだったと思う。私は、その場にたまたまいた別の友人から半強制的に巻き上げたお金を持って、その言葉だけを頼りに、彼を連れて四国に渡った。徳島に着いた時、殆ど持ち金はなかった。私が1万5千円ほど、連れは数百円しかなかった。連れは、誇らしげに言った、タオルとサングラスを持っとる。その瞬間、二人で、目を合わせて笑った。

今でも、徳島のフェリー乗り場を出て歩き始めた時のことを覚えている。スニーカーを天空に投げて表だったら右、裏だったら左、そうやって道を選んだ。それが、妙に楽しくて、久しぶりに心の底から笑えた。私は方向音痴だった。今でもだが。彼は、朝までに室戸岬に着くと嘘をついた。良く考えてみれば分かる嘘に、私は簡単に騙された。

素直に行かない、ぐるぐると回り続ける、室戸岬までの道は長かった。まだ、3月の初旬、外で寝るのは寒く、夜中歩いて、昼間寝た。ある日、気が付くと日焼けで顔が黒かった。寝心地いいなと思っていた枕が、朝目覚めると猫の死体だった。でも、その道中で、多くの人と出会い、多くの人から施しを受け、叱咤激励を受け、そして、先に進んだ。連れの足が痛んで2晩宿泊した海岸では、2日目の朝、小学生の子供がお握りを持ってきた。前日散歩に来ていた家族だった。子供の母親が私たちに向かって礼儀正しく頭を下げた。頭を下げるのはこっちの方だった。礼儀を知らなくて、まともに頭を下げられなかったけど、心の中で一生懸命お礼を言った。包装紙を開けると、白いしっかりとしたお握り。今でも、その微妙な形が忘れられない。人の手で作った形だ。お腹がすいていた。それを口に放ばりながら、胸がつかえた。連れは、笑いながら、おいしい、おいしい、と何度も言っていた。

まともにルートに戻って、ようやく、室戸岬を目指して歩いている時、淡々とした道のりにうんざりした。それでも、ジャンケンをして重いザックを背負う順を1時間おきに決めていた、肩に食い込む重いザックの紐が心地よかった。しばらくして、ジャンケンをやめた。背負っている方が落ち着いた。夜の海岸沿いを歩き続けていると、ふと生海の強いにおいと南国の香り、妙に生温かい風が吹いてくる。それは鼻の頭をなめる鮮烈な刺激風だ。この感覚は、あそこを歩いた人にしか分からない、そんな風なのだ。初体験の時は、何これ、と言った驚きが先行した。何度か繰り返すうちに、来た、来た、室戸や、と思うようになる。緩やかな、でも凄い温暖差。それが室戸岬の曲がりくねった道のある曲がり角を超えたところにある。

室戸岬の天候は変わりやすい。あー幸せと、海岸沿いで寝そべっていて、何度も突然の嵐にやられた。寝袋を持っていれば、それを最初に守らなくてはならない。洞窟に逃げ込むか、近くの公衆便所に逃げ込むか、どちらかだ。何度鼻の曲がりそうな公衆便所の中で何度夜を過ごしたことか。

室戸岬には、中岡慎太郎の像がある。そして、桂浜には、坂本竜馬の像がある。彼らは、お互いを見ている。我々は、いつも、室戸から桂浜を攻めた。桂浜がいつもゴールだ。ゴールに美酒があるわけではない。あの最初の時、桂浜に辿り着いたものの、無一文だった私たちは、同世代の女性をナンパしてお金を借り、久しぶりにホテルに泊まって美味しいものを食べ、風呂に入るつもりだった。女の子たちは、お金を持っていなかった。結局、思惑が外れて、近所のくたびれた喫茶店に入った。計画的に食い逃げをするつもりだった。喫茶店には年老いたおばさんがいた。明るい声で、私たちの顔を見て言った、あんたら、きれいな目をしとるねぇ。ただ、しばらく外で寝ていたから、日に焼けているだけなのに、そう思うと恥ずかしかった。いやぁ、ほんまに、素直なええ目しとるわ、おばさんは、おまけやで、そう言って大盛りの超特大の焼き飯を出してくれた。それは、店頭のサンプルの3倍はあった。そんな目をした子がお腹すかして来たら、お金貰うわけにいかんやろ、おばさんは確かにそう言った。私たちの計画は彼女に見透かされていた。おばさんは、白い歯を見せて笑った。連れは、焼き飯を頬張りながら、涙目で言った、おれらの目がきれいって言いよるねん、こんな姑息な、どうしょうもない人間の、その言葉が私は今でも忘れられない。

私たちは、その喫茶店を出た後、覚悟を決めたように、連れ添って、最寄りの警察に行った。奥から寅さんみたいな刑事が出てきて、顎をしゃくりながら、私たちに座れと促した。私も連れも、如何に自分たちが卑怯だったか、そして、ここにいるかを懸命に、でもやはり、都会人だったのだろうか、饒舌に喋った。私たちの話を聞きながら、寅さんみたいな刑事は、うんうん、うなずいた。捕まえて欲しかった、そう連れが言った時だった。お前ら、なんかやったがや、そう言いながら、私たちに、自分の財布から出したお金を渡してくれた。私たちは、パトカーに乗せられてフェリー乗り場に送られた。

私と連れは、それから、根性無しなりに、少しだけ一生懸命働き、寅さんみたいな刑事に借りたお金を送金した。刑事は返事をくれた。その手紙には、1枚の写真付きの封書が添えられていた。お前らが恐喝しようとしたと言っていた女の子たちの手紙だよと書いてあって、その内容は、楽しかったと、ただ、ただ、それだけだった、写真の中の私たち4人は笑っていた。そして、連れは、真っ黒で、確かに、白い歯と奇麗な目だった。もう一つ、焼き飯を食わせてくれた喫茶店の住所も載っていた。私は、生まれて初めて、人に感謝の手紙を書いた。刑事さんとナンパした女の子と喫茶店のおばさん。こちらの住所は書かなかった。あの時、それが恥ずかしくてできなかった。

何故だろう、それからある時期になると、同じルートを歩きたくなって、何度も歩いた。歩く理由は、何もない。今でもなぜ、それから、何度も歩いたのか分からない。いつも、室戸岬を目指し、そして桂浜に向かった。それが、私の正攻法だった。ある時、足摺から歩いてくる別の友人と桂浜で待ち合わせをした。まる一日、遅れていた。もう、いないかな、と思った瞬間、彼が現れた。早いな、と言った。不思議だな、と彼に問われた。ネオンとアルコールがお似合いの、そんな人間がなぜ歩くと。

理由は、30年以上経ってもやはり分からない。

でも、それで好いと思っている。不意に、そこに行きたくなる。疲れ切った後、落ちるように寝て、全身の疲れが抜けた状態で、夢の中で、その道を歩いている快感がある。

そこに道があって、その道はどんな危険な道か分からない。それでも、我々は歩く。でも、もしかすると、楽しい道かも知れないとワクワクしながら。

そこに道があって、その道が何度も通った淡々としたつまらない道だと知っている。それでも、私は歩く。今度こそ楽しいかも知れないと思いながら。

道に始まりも終わりもない。どこで始まり、どこで終わるのかを決めるのは、自分自身である。そして、道に、心地よさの理由など求めなくてもよい。我々が尋ねれば、道は教えてくれる。そして、我々自身がその答えを一番よく知っている。

ただ、歩きたいから、歩く。それで充分だ。


This entry was posted in その他. Bookmark the permalink.