暗闇と咳と小さな努力


目を閉じると、暗闇が見える。
目を閉じると、万象の真実が見える。
目を開けると、人間の姿が見えて
ほんの少しの嘘も見ることができない。

光が眩しい。
そして、私は咳をする。
ひとつ、ふたつ。
私は戦いを決意する。

眩しいのは嫌だ。
目をつむる。

そして、私は咳をする。
みっつ、よっつ。
それでも、私の心には不安しかない。

口から入ってくる、いや鼻から、いや
肌を通して入ってくる
空気さえ眩しい。

そして、私は咳をする。
いつつ、むっつ、ななつ、やっつ。
やがて消え
暗闇すら眩しいから咳をする?
だとすれば、いったい私は誰のために咳をする?

暗闇にあるのは真実ではなく虚構?
不安に駆られた許容?そこで何が研ぎ澄まされるというのだろうか。
先のすり減った音すら鈍く許容する
比喩の通じない静けさ。

私の中の神様がこう言う。
ロドプシンを合成するのも小さな努力-
それが正常に働いているから畏れがある。
それが正常に働いていなくても畏れがある。
努力も我慢も臭いはしないが
触るときっと心地良い。
そして、ぼんやりと何かが見える。
立ち上がれ、そして見ろ。
見えるはずだ。見ろ、と。

つまり、私は見ようとするしかないのだ。

 目を開けようが、目を閉じようが、それはあなたの自由だ。私には関係ない。ただ、閉じようが開けようが、あなたの心はそれを見ている。光の刺激があなたに感情を伴った刺激を届けているわけではない。ふわっとした温度を感じるあなたの心は、何の刺激を捉えているのか説明できない。私が発する音をあなたは感じているわけではない。あなたが感じているのは私の発する音ではなく、私の心のリズムだ。あなたが見ているのは私の心の光と闇だ。あなたはそれを聴いて、それを感じているのだ。
 目を開けようが、目を閉じようが、それは私の自由だ。あなたには関係ない。ただ、閉じようが開けようが、私の心はそれを見ている。光の刺激が私に感情を伴った刺激を届けているわけではない。ふわっとした温度を感じる私の心は、何の刺激を捉えているのか説明できない。あなたが発する音を私は感じているわけではない。私が感じているのはあなたの発する音ではなく、あなたの心のリズムだ。私が見ているのはあなたの心の光と闇だ。私はそれを聴いて、それを感じているのだ。
 私たちはいつも、鏡の中の閉じ込められたまま、暗闇を味わっている。その味は格別なものでもない。鏡の中に温度はない。そこには、どんな空間が広がっているのだろう。鏡の中にいる気分はどんなんものなのだろう。多くの人は、鏡の外に棲んでいる。そう、稀に鏡の中に棲んでいる人がいる。そこから抜け出すのはとても大変だそうだ。鏡の中の住人は、抜け出す小さな意志と努力を知らない。誰も教えてくれる人はいない。遠慮がちに羽根が生えたような温もりと光に見えるといえば見える、ほんの小さな刺激が暗闇の向こうからやって来る。そして、ようやく感じるということを知る。それがとても歪で感じることが少ない、疎らな光の世界への入り口だ。
 もし、この文章を読んで理解できたとすると、もう、あなたは鏡から解放されている。いや、そもそも鏡の中を知らないのかも知れない。
 もし、鏡の中に閉じ込められたら、まず、咳をしてみよう、きれるまで。
 誰のためでもない。自分のために咳をしてみよう。
 そうすれば、もう何も見なくてよいのだ。


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