山からの手紙


この手紙を読む頃には、君はもう夏休みが終わって学校に戻って、あ~大変だ、夏休みの宿題ちゃんと終わっていない、今年の山の先生、しんどいなぁ、助けてよ、死にた~い、そんな気分で新学期を迎えようとしているのかも知れない。口うるさいお母さんから離れて、少しほっとすると同時に、寂しい思いをしているかも知れない。君が選んだ場所、言いかえると、君にしか選べなかった天国に、自分自身が今いると言うことに、君はおそらく気づいていない。

人は常識に縛られる生き物、常識とは何を指すのか?それは、君が全く分からなくなっている簡単なことを指す。自分が当たり前だと感じている事ほど、人は忘れてしまって分からなくなっている。もっと小さかった頃のこと。サンタクロースはどこから来るんだろう、いつ来るんだろう、と目を凝らしていた頃のこと、それでも分からなくて、窓を開けて、大きな声で、サンタさんありがとう!と叫んだ時のこと。君は、成長するにつれて、分からなかったことを少しずつ覚えて、そして当たり前のようにいろいろなことが出来るようになった。では、君にとっての常識とは何だろう?おそらく、成績表を見たお母さんは偏差値を言うだろう。そんな偏差値でどこに行くの?どこでどうやって生活するの?お父さんには、そんなお母さんの声がまるで現実のように聞こえる・・・だからと言って、現実から逃避してはいけない。君の目の前にあるもの、君が見て感じて捉えたものは、すべて現実なのだから。

人の心が、ようやく見えるようになって来た、それが成長、と君の手紙に書いてあった。それが見えると心が痛い?それとも爽快?君は早いね。私は、大人になるまで全く見えなかった。大人になって周りの空気感が見えるようになった時、ただ、ひたすら、痛かった。とても痛かった。慣れるのに、随分時間がかかった。自分の心とか意識が宙に浮いているように感じることもあった。でも、その痛さが自分の生きている証、自己の存在を客観的に始めて認識したと言うことだ、と自分に言い聞かせた。悲しいことに、今は、その時の感覚すら思い出すことができない。

新学期が始まって、おはよう、って自然に先生に言えただろうか。夏休み楽しかった、って友達と明るく話せただろうか。それは、どうでもいいようで、当たり前のことを当たり前に済ませないために、少しでも常識の罠から逃れるために、とっても大切な事だ、と私は信じている。常識を身につけることも、学ぶことも決して悪いことではない。ただ、成績ばかり気にしながら身につける常識は、常識と言う名の単なる分厚い脂肪で、自分自身を見えなくしてしまう。

当たり前、常識、と言う事象を常に疑問視できる眼を持てるようになりなさい。それが大人になるまでに君に学んで欲しいことだ。曇っていようが、晴れていようが、君の好きな星たちはいつも君の目には見えるでしょ。それが見えるのなら、成績なんて、どうでもいい。自分を信じなさい。一番怖いことは、自分を信じられないことだから。自分が信じられれば、いつか必ず、人を好きになれる。

今、北海道の札幌でこの手紙を書いている。北海道はとても涼しい、昨日から寒いぐらいだ。高知は山と言っても新学期が始まる頃もまだ暑いのだろうね。手紙の中に書いてあった、君の好きなアーティストは誰かと言う子供っぽいクイズの答えは、尾崎豊だった。彼の詩が君の中でどんな風に聴こえて、どんな風に君の心に入っているのか、残念ながら、私には見えないけど・・・そんなとりとめのない会話をしたのは、ついさっきのことだ。電話を通して聴いた君の声は、少し、寂しいような・・・私は、今すぐ、そこに行って抱きしめ、ハグしたい、そう思った。

山の空気はとてもおいしくて、山の夜空は星でいっぱいなのだろうね。その星は消えて無くなることはないけど、いつまでも見えるとは限らない。もし、君の眼にそれが今しっかり見えているのなら、今をもっと大切にしなさい。今やりたいことを今やりなさい。今しかできない、と言うことはないし、いつになってもできるかも知れないけど、今、と言う時間はすぐに過去になってしまう。もし仮に、君がやりたいことが、無数の夜空の星の数を数え始めると言う、何の役に立つか分からない、いつ終わるか分からない、一見くだらない行為であったとしても、それでいいと私は思う。いつか大人になって、それでも自分がなぜこんなバカなことをするのか分からなくなることもあるだろう。その時は、私から貰った遺伝子のせいにしなさい。状況によっては人を怒らせる事になるかも知れないけど、状況によっては笑いが取れるかもしれない。

人は皆それぞれ違う道を歩いている。今、君の目の前に道があったら、そのことに感謝しなさい。目の前に道が無かったら、心の眼で道を想像しなさい、目の前にきっといくつもの道が現れるから。真っ暗な道でも、君の心に星空があればちゃんと進める。迷うかも知れない、戻るかも知れない、いろんな道があり、どんな道でも君は歩ける。そして、どんな道であっても、その道を歩くこと自体を楽しめる人になりなさい。

☆                ☆               ☆

 山の学校にいる娘から手紙が来た。夏休みで戻って来ている娘と電話で話した。電話を切った後、また手紙を読んで涙が止まらなくなった。自分の気持ちを整理しながら手紙を書いた。書いているうちに、不思議なことに、涙線が乾いて、心が静かになった。

山に戻った娘は、私の言葉をどう受け止めるのだろうか。甘えとも取れる、クールとも取れる、寂しさとも取れる、微妙な娘の声が脳裏に蘇ってきた。私の脳の中で、どうも、自分にとって都合のよい記憶の置き換えが始まったようだ。私は、もうその記憶を信じられないのだろうか。過去の記憶は、常識と言う屍の元で死んでいくのだろうか。娘は、どうだろうか。ふと、ずっと先の娘の未来を知りたくなった。

いや、先のことは分からない。例え不安定であっても、過去の記憶があるから、今がある。今はすぐに過去になる。先のことを知りたくなるのは、短い時間を気にして生きている人間の悪い癖だ。一番信じられる目の前の現実を心に取り込むこと。そして、いったん、五感を切って想像すること。理解していること以上に、人が説明できないのと同様に、おそらく、未来を超える想像はできない。

私は眼を閉じ、静かに瞑想した。心の中で少しだけ大人になった娘が、大きな口を開けて、確かに笑っていた。

眼を開け、私は思った、会おう、山に戻ってしまう前に娘に会いに行こうと。


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