夏休みの絵日記


おじいちゃんがね、自分で描きなさいって言ったの。宿題だから。
少女の指も掌も握りしめているクレヨンのせいで汚れていた。

題はあるの? 大人はそれが知りたかった。
海水浴(かいすいよく)。
少女の発音は嬉々として弾んでいた。
大人は沈黙する。
太陽も砂浜も海もない。
そして、浮き輪もピーチパラソルもない絵。

海とか太陽とか書かないの、大人の問いに。
少女は困ったような表情を浮かべた、
ちょっと間をおいて。上目使いで。大人の顔を見る。
悪魔がね、食べちゃったの。
そう言うと、少女はまた笑顔に戻った。
夏の日差しの中で食べるアイスクリーム。
そんな甘い声と笑顔。

悪魔がね、悪い悪魔だね。
大人の言葉に少女はすぐさま反応する。
悪くないよ、いい悪魔だよ。

いい悪魔、わるい悪魔。
大人はもう一度その絵を見てその意味を大人の解釈で理解した。
満面笑みの絵の中の少女。
少女としっかり手を繋いで、
ぶっちょう面から白い歯を見せているロン毛の父親。

そうだね、いい悪魔は嫌いなものもあるよ。
いい悪魔の嫌いなものは何?
大人が知りたかった答えは、笑顔だった。
少女は、星と答えた。
そうなんだ、きっとお星さまを悪魔は食べないよ。
じゃあ、お星さまを描けばいいよ。
きっと、夜なんだよ、海遊びしたのは。ちょっと、ロマンチックだね。
大人は少しだけ、ドキドキした。

大人の言葉を少女はほとんど聞いていなかった。
きゃはは、と甲高い声を出して笑う。
きゃはは、そうしよう、そうしよう。
少女は、その絵にクレヨンで黄色い星をたくさん描き加えた。
これでもか、これでもか。
そして、ふうっと息を付いたかと思うと、
ロン毛の父親の頭の上にサンタクロースみたいな赤と白の帽子を描き足した。
それは、どうみてもクリスマスだった。

やりすぎじゃない?
いいの、いいの、パパに前に会ったの、クリスマスだもの。
大人の心配を少女は一蹴する。
うつむき加減でそう言ったかと思うと、ふと。
あ、と声を出して、思い出したように少女は大人の顔を見て笑った。
少女の笑顔は、大人の眼に入っても全然痛くない。

確かに、痛くはない、
が、少女は「海水浴」と題したこの絵にどんな言葉を入れるのだろうか。
大人はそれが心配だった。

 少女にとっての「いい悪魔」は、太陽を食べて海水を飲んでも、怒りや悲しみを食べても、星空や笑顔を食べることはないのだろう。そして、過去を食べても未来を食べることはないのだろう。「いい悪魔」は、少女の未来まで食べない。未来を食べる悪魔こそ、本当に悪い悪魔だ。不意に、少年の頃、初めて書いた詩に「悪魔」と言う題をつけて先生に注意されたのを思い出した。あの時、いい悪魔もいることを先生にも教えてあげれば良かった。
 目の前に映るものを描くのはとても苦手だ。
 先生、○○君がふざけて変な絵を描いています、美術の時間にありがちな光景だ。隣に座っている女の子にそれ何の絵と自分の画力の無さを指摘され、恥ずかしまぎれにモモクロが凧揚げしているとこ、とか言うと多分ふざけていることになってしまうのだろう。
 だいたい、何のために目に前に映るものを描く必要があるのか、まったく分からない。見たから、いいやん。終わったから、泣いたし、笑ったし、それでいいやん。だけど、だいたい、そうはならない。

眼を開けて、目の前に見えるもの。
人がいて、物がある。
それはすべて光だ。
眼を開けていても、ほんの少しの人の嘘も見ることができない。
たまには、眼を閉じよう。
眼を閉じて光以外の感覚に包まれてみよう。
そこには、光に遮られて見えなかった万象の一部が垣間見られるかも知れない。
悪い悪魔が食べなかった、
過去と言う時の雪が私の心に降り積もっている。
その雪は、決して白くもなく、さらさらもしていない。
時々、湿っぽく、そしていつも重くるしい。

 私の心の雪を食べ尽くす悪魔はどこかにいるのだろうか。少女の絵日記からはそれが読み取れない。
 たぶん、少女はこう言うだろう、おなかこわすわよ!


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