僕自身を振り返る ~学生生活(学業編)後編


前編では多少罪の告解のような雰囲気で、自分語りをいたしました。その終盤、論文のテーマを考えるにあたって出会った言葉「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」を取り上げましたので、今回はこの言葉から僕と僕の関心事を紐解いていこうと思います。

 

この言葉に惹かれた理由はシンプルで、”良いとこどり”だからでした。原体験がどこにあるのかは分かりませんが、僕は二元論が好きでありません。学生生活を振り返っているので、そこに限定するだけでも、「学問とビジネスは~」とか「理系はうんぬん文系はかんぬん」とか、両立できるはずの概念を持ち出して一方を支持し他方を非難するという場面にさんざん出くわしました。人は区分するのが好きみたいです。このあたり、BE専攻に入った理由と共通しているんだろうと思います。

 

というわけで「経済と道徳の両立」が僕の研究の根幹の思想になったわけですが、現代社会でこれを体現する取り組みの一つがCSR(corporate social responsibility, 企業の社会的責任)です。経済同友会によると、CSRは「自らの社会的責任を明確に定義し、それを社会に対して発信し実践することにより、自らの競争力を高め持続的発展をめざす働き」とされています*¹。この定義のもとで、現代の企業は、法令順守のようなやって当然の取り組み(守りのCSR)から、環境配慮型製品の開発といった+αの価値提供(攻めのCSR)まで多岐にわたる活動を「求められる」ようになってきています。かなり体系化された概念になっていますが、CSRはオイルショック、グローバル化、バブル、震災、IT化に伴う市民監視の強化、と、各時代の一大事に対応する形で発展・体系化していったようです。マイケル・ポーターも、CSRの概念が現れた最初のきっかけは、社会から企業への要請という「圧力政治」だったと分析しています*²。僕は次のように図化しました。

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この時点で、僕が持った印象は「消費者、甘やかされてない?」でした。企業が日々様々な圧力にさらされる中で行う涙ぐましい努力*⁵に対して、僕たち消費者はどう応えているのか?というのが研究を進めるうえでの最初の問題意識になりました。つまり、「CSRが果たさなければならない目的は企業にとっては利益への貢献でも、活動そのものによって果たさなければならない本質的な目的は社会課題の解決であって、そこに対して責任を負っている主体は企業だけでない」という主張です。

 

そんなこんなでちょこちょこと考えを積み上げていき、その研究では、CSRは各主体が共創して社会課題解決に取り組むための仕組み構築のトリガーにならなければならない、と主張したうえで(下図)、そのために、(ちょこちょこと考えを積み上げて)消費者はCSRや社会課題に対しどのような関係を持っているのかについて明らかにしようという試みになりました。

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まぁ、所詮はCSR担当部署は言わずもがな、企業に勤めた経験すらない学生の空論、そこに研究スキルの欠如も相まって、反省だらけの陳腐なものにはなってしまいました。ただ、今見返してみても、問題意識というか、主張の部分に対しては、あまり違和感を感じてもいなかったりします。

 

今回振り返ってみて、自分の思想の源泉を読み解くヒントになりそうな気がしています。

 

小僧の戯言に辛抱強くお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

 

*1:経済同友会, 第15回企業白書, 2003

*2:Michael E. Porter, 日経ビジネス, 2011

*3:例えば、コトラー/ナンシー「社会的責任のマーケティング」などがその古典的な書籍かと思います。

*4:科学的に立証されているかについては棚に置かせてください。。

*5:企業の取り組みやその姿勢について無条件に良しとしているわけではありません。こちらについても研究を進める中で議論させて頂ければと思います。


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