ゴールドにはゴールドの意味がある


河本さんの初ブログはまだ公開されていないが、それを読んだ私たちの中でちょっとした経緯(いきさつ)があって、これを書いている。ある言葉に、西尾さんが引っかかった。私がもどかしさを感じた分と同じ言葉だ。SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)とマイクロブログと言う言葉の使い分け、どちらでもいいのかも知れないが、微妙に違う。私が、最近のTwitter研究で興味を持っているのはどちらか?それを少しだけはっきりさせておく。

荒牧の言う使用語彙をTwitterから測定する可能性。すなわち、それはTwitter発言者の言語能力の測定可能性を意味する。要するに、発言者の価値観の測定可能性があると言うに等しいのである。私の興味はそこにある。SNSではなく、マイクロブログである。もちろん、情報伝搬が行われているネットワークがあるのは事実である。ただ、そのネットワークには興味が無い。

言葉の響きを考えた時、SNSはゴールドで、マイクロブログはメタルなのかも知れない。メタルにはメタルの美しさがある。人の価値観や情緒ベネフィットと言った言い回しはゴールドではなくメタルである。Societasのイメージ色はゴールドではない、メタルである。私はそれが好きなのであろう、頑堅で、何とも言えない色のメタルが。

ゴールドは華々しくて美しいが儚い。儚い遺伝子は続かない。メタルは鈍くて凡庸だが、透き通っていてしかも力強い。くすんだメタルの色には意味がない。だとすれば、それが、Societasを構築する人の価値観、情報伝達遺伝子の中で何世代もの淘汰を繰り返しても、永く生き残るもの、の色だ。

今のSNSは、街を映す鏡だ。しかし、今はすべてを持った街しか映していない。満喫した街。退屈な街。もっと、失われた街を映す鏡となってメタルにはできない、ゴールドの輝きを見せて欲しい。それが、SNSの存在理由であるはずだ。そうなって、初めて、ゴールドにはゴールドの意味が生まれ、SNSと言う言葉が生きるのだ。

 

最後に

河本さんの文章は、勢いがあってとても良かった。私は個人的に、ああいう感じが好きだ。これは、批判ではなく、彼に対する和讃である。


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