どんな困難があってもそれに打ち勝つアイデアを探しなさい、


 レイ・カーツワイル(Ray Kurzwell)の母親はそう励ましたそうだ。

 昨年12月の初旬に米映画「トランセンデンス(Transcendence)」のDVDが販売され、ミーハーな私はすぐに購入した。ジョニー・デップ扮する人工知能学者は、シンギュラリティのことをトランセンデンス(超越)と呼んでいた。この映画では、以下で述べていくシンギュラリティを取り扱いながら、伝えようとする情報は愛、人類への愛、人間中心主義の愛だった。
 年末に届いた情報処理学会誌の1月号は、シンギュラリティ(singularity)の特集号だった。様々な分野の14名の日本人研究者がその問題を論じていた。シンギュラリティは日本語では「特異点」と訳される。「特異点」とは、特異な意味を持つ独特の事象のことを表し、その言葉を最初に使っていたのは数学者だそうだ(有限の限界を超えるものを表すのに使った、例えば、どこまでもゼロに近づく数で定数を割った値が爆発的に大きくなるような場合、y=1/x関数でxがゼロに近づくとyは無限に大きくなる)。次に天文学の分野で、質量の大きな恒星が超新星爆発を起こすと、その残骸は最終的に見かけの体積はゼロで密度が無限大の点に潰れ、その中心に「特異点」が形成されるという。恒星が無限大の密度になったあとは光は星から逃れることができないと考えられている(ブラックホール、実際は、中心点以外は引力は非常に大きいが有限らしい)。この言葉が、人類の歴史の中で起こる事象に用いられるようになったのは、ジョン・フォン・ノイマンの次の発言からだった。
 「絶えず加速度的な進歩を遂げているテクノロジーは・・・人類の歴史において、ある非常に重大な特異点に到達しつつあるように思われる。この点を超えると、今日ある人間の営為は存続することができなくなるだろう」

 人類の進歩は加速度的、すなわち指数関数的であり線形的なものではないということだろう、レイ・カーツワイルはじめとするシンギュラリタリアンがそう信じるように、私自身もそう信じる。ムーアの法則(集積回路に詰め込めるトランジスタの量が12カ月から24カ月で倍になるという発言、電子が移動する距離が縮むので当然計算速度は速くなる)というのがあるが、ソフトウェアアルゴリズムの高速化で一時食べていた私は随分悩まされた。何年もかかって高速化に成功してもコンピュータの計算速度は倍々ゲームで伸びているのだ。その時思ったのが人間らしい、もっと創造的な仕事をしよう、だった。ただ、この創造的な仕事自体もそのうち取って代わられる可能性が高い。話はそれたが、カーツワイルは収穫加速の法則と呼ばれる考え方を集積回路だけではなく、幅広いテクノロジー、進化に至るまで適用範囲に入れている。横軸に時間をテクノロジーのパフォーマンスや進化を縦軸に取った対数グラフが特徴的である。

 進化の目的は情報伝達のパフォーマンス向上である、と私たちは考える。情報とは何なのか、カーツワイルはそれを複雑さや秩序と言う言葉で説明してくれる。複雑さとは情報量である。進化のパラダイムシフトが起こるたびに複雑さ、すなわち情報量は増しているようにも見える。複雑さを増すこと自体は、進化の目的でも最終的な産物でもないと彼は言い切る。進化の結果引き出されるのはよりよい答えであって複雑な答えだとは限らない、確かにその通りだ。プログラムのビット配列でもDNA配列でも意味があるように見えても意味のないノイズがある。これを秩序と言う言葉で説明する。秩序だっているように見える並びでも意味がないものもある。秩序には情報が必要だからだという。秩序とは、目的にかなった情報のことである。秩序を測る基準は、情報がどの目的にかなっているかということだ、もうお分かりであろう。生命体の進化における目的は生存なのだ。ビッグデータやセンシングデータと呼ばれる世の中にある多くの情報も、脳の中にある膨大なシナプス結合も、目的があってこそ、その秩序が保たれる。情報のパフォーマンス向上には、情報の進化には、秩序が必要なのだ。複雑さを測る基準は、情報量と言う形でいくつも提案されているが、秩序を測るためには目的に応じた効用関数を定義する必要がある。進化には、経済的なパフォーマンスを測る手段が必要なのだ。それは、多分シンプルなものだ。シンプルな秩序がテクノロジーを進化させてきた。我々がすべきことは、情報の進化アルゴリズムを設計するために、初期的な効用関数を定義し、その関数が書き換わって行くようにしなければならない、ということである(すべてをできる限り単純にせよ、ただし単純すぎてはいけない、と言ったアインシュタインの言葉に従おう)。ヒトは親指の回転軸が変わることによって多くのテクノロジーを生み出すことになった。他の生き物もそれぞれの目的に応じて進化を遂げてきた。そして、一つの目的を達成すると次の目的を設定する。ここが重要な部分で、効用関数の定義や書き換え(すなわちDNAという設計書の定義と書き換えのようなもの)よりも難解なのは、次の問題設定、すなわち目的の設定なのである。生き延びること、で始まった生命の進化は、やがて多様な目的に包まれているのである。特に人間社会では、それが顕著だろう。敵よりも深く考え、多様なコミュニケーションであらゆる環境を操作することが目的になっているのだ。秩序は進化と共に増大するが、複雑さは増えたり減ったりする(熱力学の第2法則、エントロピーは減ることはできない、通常増加するという法則に反しそうだが、そうではないらしい、進化のプロセスは閉鎖系ではなく、複雑さも通常増えるということ)。進化から革新的な秩序が生まれると、それがよりいっそう進化に拍車をかける。それは指数関数的である。つまり、我々イノベーションを起こそうとするものは、加法的にではなく乗法的に対応しなければならないということである。加法的に時代を追いかけても時代は逃げていくだけだ。大いなる想像力を働かせ、そのスケールで創造力を発揮するのが真のイノベーションである。

 カーツワイルは、情報伝達の進化プロセスを6つのエポックでとらえている。以下にその簡単な説明をしておく。
 エポック1:物理と化学 人間の起源を遡ると、情報が基本的な構造で表されている状態、物質とエネルギーのパターンに行きつく。時空は離散した量子、つまり情報の断片である。原子の構造には離散した情報が格納されている。ビックバンから10万年後、陽子と中性子からなる核の周りの軌道に電子が捉えられ、原子ができ、さらに数百万年後、原子が集まって分子と呼ばれる比較的安定した構造を作るようになり、化学的過程が始まった(中でも炭素は四方向で結合することができ、もっとも用途が広く、豊かな情報量の三次元構造を作る)。分からないことは多いが、このような宇宙の物理法則が秩序を増し複雑になっていくような進化を可能にするために、あるべきものになっていった。
 エポック2:生命とDNA 炭素ベースの化合物はますます複雑さを増し、分子の複雑な集合体が、自己複製機能を形成するまでになり、生命が誕生した。生物組織は、さらに大きな分子の集合について記述するための正確なデジタルの仕組み(DNA)を進化させた。コドンとリボゾームという補助的な装置の働きで進化の実験にまつわる記録が保存される。
 エポック3:脳 DNA主導の進化によって、自身の感覚器を使って情報を検知し、自身の脳と神経系に情報を蓄えることのできる有機体が作り出された。これが可能になったのは、エポック2の機構(DNAとタンパク質とリボ核酸の断片からなる遺伝子発現を制御する後成的〔DNAによりあらかじめ規定されていない〕な情報)がエポック3の情報処理機構(有機体の脳と神経系)を間接的に実現させて規定したからだ。これにより、初期の動物がパターンを認識できる能力を持ち、最終的には人類が、経験した世界を頭の中で抽象的にモデル化し、そうしたモデルが何を意味しているのかを理性的に考える能力を進化させた。世界を頭の中で再設計し、得られた考えを行動に移すという能力だ。
 エポック4:テクノロジー 理性的で抽象的な思考という授かりものと親指の回転軸の変化により間接的な進化の次の段階に入り、テクノロジーを作り出した。単純な機械に始まり、精密な自動装置へと発展する。テクノロジー自体が情報の精巧なパターンを感知し、保存し、評価することができるようになった。
 エポック5:テクノロジーと人間の知能の融合 これから数十年先、特異点が始まる。人間の脳に蓄積された大量の知識と人間が作り出したテクノロジーが持ついっそうすぐれた能力と、その進化速度、知識を共有する力とが融合して、そこに到達する。100兆の極端に遅い結合(シナプス)しか持たない人間の限界を人間と機械が統合された文明によって超越することができる。人間が悩まされてきた問題が解決され、創造力が各段に高まる。進化が授けてくれた知能を損なうことなく、生物進化では避けられない限界を乗り越える(すべてが増幅されるので良い事ばかりではない)。
 エポック6:宇宙の覚醒 特異点の到来後、人間の脳という生物学的な起源を持つ知能と人間が発明したテクノロジーという起源を持つ知能が宇宙の中にある物質とエネルギーに飽和するようになる。知能は物質とエネルギーを再構成し、コンピューティングの最適なレベルを実現し、地球という起源を離れ宇宙へ外へ向かうことで、この段階に達する。光速が情報伝達の限界とされるが、何らかの方法でこれを乗り越えるかもしれない。宇宙の「もの言わぬ」物質とメカニズムは、このうえなく素晴らしい知能体へと変容し、情報パターンの進化におけるこの段階を構成する。

 以上がカーツワイルの想定する6つのエポックだ。アミノ酸を結合してタンパク質を作り、ヌクレオチドを結合してRNAの配列を作ることで生物の基本的なパラダイムができあがった。エポック2で自己複製したRNAの配列(のちにDNA配列)によって進化の実験を記録するデジタルな手法がもたらされた。エポック3で理性的な思考と対向性のある付属物(親指)とを併せ持った種が進化して、エポック4において、生物からテクノロジーへのパラダイムシフトが起こった。現在、私たち人類はエポック4にいる。次のパラダイムシフトは、生物的思考と非生物的思考を混合するものだ。そこには、脳のリバースエンジニアリングによって得られる生物的な感化を受けたプロセスも含まれるということだ。彼の予測によれば、2045年、30年後に特異点を迎え、エポック5に突入する。空想なのだろうか?私にはそうは思えない。少なくとも、エポック4までは、歴史的に重要な事象が収穫加速の法則に基づいて、対数グラフにきれいに収まっている。進化について、10億年前には100万年の間を見てもたいしたことは起きていない。25万年前になると、進化の事実が10万年の間にいくつも起きている。テクノロジーについても、5万年前には1万年という期間のうちにたいしたことが起きていなかったのに、最近ではたった10年で大きなパラダイムが起きている。脳の研究にしても、音声研究にしても、ここ数年、加速度的に様々な問題をクリアしている。エポック5に突入するためには、人間の脳のコンピューティング能力を実現することと、人間の知能のソフトウェアを実現することの2つは必須である。カーツワイルはその具体的な実現の方向性をその著書の中で述べている。ここでは詳細を書かないが、かなりリアリティがあり、直観とも一致しており、刺激的な内容だ。これを実現するために、GNR(遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学)という3つのテクノロジーが融合する。特にナノテクノロジーとロボット工学のうちの強いAIと呼ばれる領域がそれを先導するだろう。2045年には、完全でないまでも前述2つの課題をほぼクリアしたテクノロジーが間違いなく実現する、と私も考えている。強いAIの中の意識の問題は、言語理解と深い関わりがある。大枠の心のモデルは既にある。あとは細部を詰めていく作業が残されている。これが結構大変そうだが。どちらにしても、テクノロジー進化の加速度的な習性は認めざるを得ないというところだろう。

 本日のブログは、カーツワイル氏への和讃である。その著書の中で述べているが、人間と言うのは不思議だ。設計書(DNA配列)は極めて単純なのに、非常に複雑で秩序のある情報伝達体が出来上がる。その設計書(ヒトゲノム)全体は8億バイトの情報しかなく、圧縮すれば3000万バイトから1億バイト程度のものだという。画像処理で利用されている確率論的フラクタルで説明しようとする人もいるが、おそらくそれだけではこの複雑さや秩序は表現できない。その複雑さや秩序と人間の行動の関係性をモデル化していくこと、そのための近道はどこなのか、我々はもう一度考える必要がある。人の行動が取得できる最も客観的なデータは多くの企業が保有している消費者の行動データである。これらのデータから見える人の複雑さや秩序はきっとある。そのデータを捌くには、我々はあまりにも幼くあまりにも無知だ。もっと学ぶ必要がある。今までに身に付けた知識の上にそれを構築していくことがその近道だ。収穫加速の法則である。半年、その時間で知識は倍にできる。知識がなければ発想は生まれない。いつまでも同じところを行ったり来たりしていてはダメだ。人間の限界はまだ先にある。特異点は機械の反逆の到来を告げるものではない、むしろ人間中心主義の復活なのではないか、私は少なくともそう考えている。人間が宇宙を作り、宇宙が生命を作り、生命が進化して人間を作った。人間はテクノロジーを作り、そのテクノロジーと融合して、宇宙に飛び出す。伝える情報は1つしかない。シンギュラリティはその愛で宇宙を満たすのだ。

 まだ、我々は20世紀の風の中で生きているような気がする。昨年まで、20世紀の名残のような技術が主な流行であった。今年あたりから、ようやく21世紀の風が吹き始める変化を感じることができるのではないだろうか。私は既に感じ始めている。特異点に向けての元年に今年はなりそうだ。次の未年の頃、どんな社会になっているだろうか。想像してほしい。うまく想像できたとき、今のあなたには大きな壁が見えるはずだ。乗り越えられそうにない壁。その時、このブログのタイトルを思い出してほしい。

 どんな困難があってもそれに打ち勝つアイデアを探しなさい。

参考文献:
レイ・カーツワイル,井上健他:ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき,NHK出版協会(2007)
塚本昌彦他:情報処理Vol.56 No.1,人類とICTの未来:シンギュラリティまで30年?,p2-p48(2015)


This entry was posted in その他. Bookmark the permalink.