これでいいのだ!


夏休みなのか、電車に乗っている人が少なく思う。

通勤中なぜか、バカボンのパパが頭に浮かんだ。

今となっては漫画、アニメはほとんど見ないが、昔の記憶がよみがえる。 最近は過去の事象を、現在はどう思うか検証する事が増えている事に気づく・・

今、思うと「天才バカボン」というアニメはよくできていると思う。

バカボンのパパは学生時代、偏差値の高い大学:馬鹿田大学を の学生だった(天才)。しかし、馬と事故があり、馬の脳とパパの脳が入れ替わる。 そのパパが繰り広げられる日常を綴ったアニメだ。

家族構成はパパ、ママ、バカボン(長男)、はじめちゃん(次男)。 はじめちゃんは、パパのそもそもの賢い遺伝子を受け継いでいる天才児。 バカボンははじめちゃんの対極。

※あくまで、私のメルヘンです。私見の垂れ流しです・・

ここに、人間成熟過程の考え方の一つ、 ニーチェの三様の変化、禅の十牛図がまるっとはまると思った。 しかも価値でなく存在として認識する愛まで、表現されている。

(簡単に)

三様の変化は

存在:ラクダ→獅子→小児

意味:汝なすべし→我欲す→然り

自分をコントロールしている竜(頭)に従順だったラクダは 自由を求め、獅子に変化して、竜をかみ殺し、 自由と本当の自分(心)を確保する。 本当の自分(心)を取り戻した獅子は、いろいろなものに興味を持ち創造していく。 自分だけの価値世界の創造。そこには人間文化が作りあげたものさしの影響は受けない。それが小児。小児は没頭し、好きこそ物の上手なれの真髄に到達する。

※小児に至った人は、詩や絵、新規ビジネス等様々なものに対してイノベーターになっていく・・

※私の部署にポエマーが数人いますが、そういう風に見る事もできますね(笑)

頭、心、愛、などは定義がはっきりしていない手垢のまみれた言葉ではありますが、 頭は、未来、過去、欲望、常識、分別、シミュレーション、2元論、禁断の果実(旧約聖書) を想定しています。

単に、事故でパパは小児になったんだな。ニーチェで言う過程を得ずに。

「然り」=「これでいいのだ」なのだ。

ありのままに物事を認め、そこに事象、ヒトをコントロールしようという欲望はない。 事象をコントロールに入ると二元論に陥ってしまう。

パパの子供のバカボン、はじめちゃんの存在も面白い。 双極なキャラクター。 価値ではなく、存在として、ありのままの状態を受け入れる。 子供を「あなたのため・・」とか言って偽善隠してコントロールする親(ある意味、竜)ではない。三様の変化の最中に、愛の本質的な意味合いを知る。それがないと恐らく小児に至れない。

やりますな、バカボンのパパは!!

エンディングの歌をうっすら覚えていて、歌の中に年齢が出てくる。 パパは恐らく41歳。 ここにも、意味を感じる。

ユングの考え方で「人生の午後」という言葉があるが、まさにこの年代あたりだ。 人間の成熟には繊細さと時間が必要なのだなと最近つくづく思います。

※経験=時間ではその質が反映されないので、言葉で表現のむづかしい所ですが。。

子供のころ、面白いと思ってみていたアニメが 見る角度次第で、とらえ方が大きく変わった一例でした。

次は、「ポニョ」を掘り下げてみようかな(笑)


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