摩訶般若波羅蜜多

 こんなに書けないと思った記憶がないぐらい書けなくなっている。こういうのをスランプというのだろうか。そんな単純なもんじゃない。書き始めては筆が止まる。思考が先に進まず止まる。一切の記憶、意思、考えが停止する。身心が止まる。こんな苦しい書き出しで書き始めたが、書きながら何かを吹っ切ろうとしている自己がまだある。そう、自己の身心がまだある。

10月に公開したPという小説(http://lab.synergy-marketing.co.jp/wpsys/wp-content/uploads/2017/10/aef6b266070c36a3baddf3d341b24252.pdf)に流れているテーマは、「摩訶般若波羅蜜多」である。この小説は対話システムのプロトタイプのデモを作成するときに濃いキャラクタを作った方がいいんじゃないかという発想の中で生まれた。お寺の和尚さんというキャラクタは、高椋さんの発想だ。面白い、ふざけた、だらしない、でも憎めない、たまにいいことも言う、そんな奴。それって、どんな奴?こんな顔か?嫁さんは?どんな家族がおるん?友達は?カラオケは何歌うん?酒は?博打は?とか絵まで描いて話している中で、ふざけた漫画でいいんじゃないか、とも思った。一昨年の夏、この小説を書き進めるうちに、意図せず、知らないうちに美しいテーマがその中に溶けていた。

 「マハー・プラジュニャー・パラミータ」という原典の音韻から「摩訶般若波羅蜜(多)」(「多」は省略されることが多い、無音に近い?)という言葉が当て嵌められている。「摩訶」は偉大なる、大いなる、絶対的なというような意味、「般若波羅蜜」は「智慧の完成」。直訳すると、「絶対的な智慧の完成」ということであろうか。「絶対的」には終わりもなく始まりもない。「智慧の完成」というと分かりにくいが、「般若波羅蜜多」は、自他の感覚・感情・認知・価値観など自他を成立させているあらゆるものの真理、宇宙に存在する森羅万象そのものである、と思えばいい。始まりもなく終わりもない世界の中で、すべてのものがあると認知され、ないと認知され、目まぐるしいスピードで動き、止まるを繰り返している。自分が自分の世界の中で感じる、生死、煩悩、それを乗り越える智慧も無であり無限である、ということ。我々は、左手に煩悩を持ち、右手にそれを乗り越える智慧を持って生き続けるしかない。煩悩は消えることはなく消えてもまた次の大きいのがやってくる。宇宙のたった一つの真理の中で、我々も含め、宇宙に存在する森羅万象すべてが、自由に存在することが許されている。在りのままの今が在りのままの未来を作っている。それを在りのまま受け入れること、それが、未完成のまま完成しているということだ。うまく伝わったかどうか分からないが、「未完成の完成」、それが「摩訶般若波羅蜜多」の真意である。

 今年の秋、自分たちのやっている研究が、とても狭く、合理的に進めやすいようなものになっているのを感じた。例えば、自然言語処理。この「処理」という言葉は、情報工学的なアプローチをイメージする。発想がそこから抜け出せない。最終的にそこに行き着くのかも知れないが、今ある取得可能なデータで、今ある機械学習技術でできること、という方向からの発想、ツール至上主義に陥ることは危険だ。また、その方法は、データの表面を削ることになる。データの表面を削るだけで得られる解を求めることになる。自然言語なら文字面に捕らわれる。データの表面を削るだけで得られる解。文字面を機械学習にかけて出てきた解。果たしてそれが事実だと言い切れるのだろうか?その解から、複雑世界の課題を解くための智慧が得られるのだろうか?研究概要にも書いたが、たった2人の小さな世界すら、私たちは理解できていないのだ。人は効率化・情報共有・善悪の判断のために「分別」をする。そして、その「分別」を意識共有・伝達して意思確認するために「言語と文字」を使う。その共通認識を前提にして「分別」しない人、できない人を罰し、批判する。成果を追い求める成果主義者ならそれでもいい。でも、少なくとも私たちは違うと思った。真理を追い求めたいと思った。「無分別」「不立文字」で行こうと思った。「摩訶般若波羅蜜多」で行こうと思った。私たちがこの先進めるコミュニケーション研究は、「無分別」「不立文字」を基にした「摩訶般若波羅蜜多」の追求に他ならない。それは始まりもなく終わりもない。それは「般若波羅蜜多」との自然融合なのである。左手に色があって、右手に空がある。左手にも右手にも色がある。左手に空があって、右手に色がある。左手にも右手にも空がある。そういう進め方、そういう進み方をする。

 今、両手に空を握っている自己を見ている。その自己は身心がなく止まって見える。自己が動いているのではなく、自己を包んでいる世界が動いている。
 本当に何かを吹っ切ろうとしているのだろうか。その何かは吹っ切れるのだろうか。知らなくてもよい、知ることはできない、永遠にゼロにならない、限りなく小さく限りなく遠い、真理という魔物。