山から下りてきた娘さん

 失われたと思っていた、何かに阻まれて出てこなかった言葉の結界が破れて堰を切ったように流れ落ちてくることがある。多分、それが今日だ。

 さっき、末娘を奈良駅まで送っていった。山から下りてきて都会の大学に通い始めた娘。話を聞いていると彼女の行く末は前途多難、絶望感、手詰まり感があるようだ。ということは前途洋々、波乱万丈、ゲームはこれから始まるということだ。人生手詰まりなんかない、進めば道は開けている。

 山から下りてきた娘さん、SNSで知り合った友人、誰かが苦しいときにその苦しい共通の友人を助けようとして会う流れになって、リアルで会って本屋に行ってカラオケに行って楽しいって感じて、そして友達になる。世の大人は薄いという、薄っぺらだと、SNSなんかで知り合った奴を友達だって言うなと。学校とか会社とか、用意された社会の中で知り合えば大人は安心する。それは本当の友達だと、それは本当の恋人だと、それは本当の愛だと。お母さんにちゃんとSNSで知り合った友人が一番友人だと感じているのだと堂々と言えと言った。お母さんも寂しいんだよ、そうやって常識を振りかざすことで君に振り向いて欲しい部分があるんだ、たぶん。どーでもいいから、そんなこと諸々で家に帰り辛くなって友達と遊びに行くとか嘘ついて一人で土手で飯食うな。ていうか、なんで私ここで飯食ってるんだっけ、って思ってから、後で、そうだ私はコレコレでって理由をこじつけろ。論理的な理由なんか後付けでいい。感じたら動いて痛い目に合えばいい。

 山から下りてきた娘さん、いいことを教えてあげよう。
 知ってるか?山の夜にはこぼれ落ちそうなぐらいの星があるだろ。あれは全部人間がついた嘘なんだ。星の数ぐらい人は嘘をついても許される。自分にも他人にも。でもね、いつかその星がこぼれ落ちそうになってるのを感じることがある。美しい星が沢山見える人ほどね。晴れてる日は嘘が増える。曇っている日は嘘が減って、雨が降ると人は嘘がつけなくて苦しい。嘘って別に悪くない。晴れている日の方が私は好きだね。雨が降って嘘がつけなくなる日は嫌だな。

 山から下りてきた娘さん、もう一ついいことを教えてあげよう。
 星と違って夜の街のネオンサインの下で知り合った友人はSNSで知り合った友人と同じぐらい大人にとっては非常識らしい。ネオンサインの累乗分、嘘があるという話。ほぼ無限の嘘。ほぼ無限のリラックス。でも、人間の本能は虫みたいにこの光に向かうように遺伝子に組み込まれている。暗闇に向かうより光に向かう方が安心感があるらしい。

 山から下りてきた娘さん、最後にひとつだけ。
 きっかけなんかどうでもいい。SNSでも山でもネオンサインでも。学校でも会社でも。
 きっかけなんかどうでもいい。無意識に感じること。無意識に感じなければ意味がない。無意識に感じていれば何か意味がある。考えるのは後でいい。無形のものを感じるのが先。そう思って話せば何かが変わるはず。

 山から下りてきた娘さん、いつか私と山に登ろう。そして、一緒に山を下ろう。
 登るときも下るときも一人だと感じられれば上等だ。結局、単独行なんだよ。でも、そこには抽象的だけど確実に感じられる直感の道があるんだよ。それを五感で感じて心でとらえるんだよ。

 山から下りてきた娘さん、娘さんの自分はどこにあるのかな。