女人結界

 このインターネット・テクノロジーに覆われた自閉社会で、いや、差別化の失われた、疑似平等無印、疑似万人総同一、疑似開放的自閉社会で、女性が登れない、そんな山があるのをご存じだろうか?私が住んでいる奈良県にある大峯山脈の一角の山上ヶ岳。その大峯山脈は長い。吉野から熊野まで突き抜ける尾根を縦走できる近畿最大の山脈だ。この現代でも行者がほら貝を吹きながら歩く道(私は見たことないけど)、大峯奥駈道。吉野から歩き始めればたぶん夕方には女人結界にお目にかかれるはずだ。いつか大峯奥駈道を熊野まで縦走してみたいと思っている。

 始めて大峯山に足を踏み入れたのが去年の秋、日本百名山の八経ヶ岳だった。行者還りトンネル西口から弥山(強い霊気を感じる場所がある)を経て八経ヶ岳に登った。それから、秋から冬にかけて大峯山周辺の観音峰や大日・稲村ヶ岳(山上ヶ岳の隣の山で昭和34年に女人禁制が解け女性も登れるようになって女性の行者が上ることから女人大峯と呼ばれている)に休みで遠出しない日にちょこちょこ上るようになった。12月になって稲村ヶ岳の樹氷があまりに綺麗だったので、その翌週ぐらいに斉藤さんを誘って一緒に登った。役行者(エンノオズヌ,神変大菩薩)の母が祀られている母子堂から法力峠を抜け、稲村小屋を目指した。雪もどんどん深くなりワクワク感が高まって、あと10分も歩けば小屋に着きそうと思って楽しくて振りかえると、少し後を歩いていた斉藤さんが凄い恐い形相で睨んでいた。どうした、楽しいだろ?って聞くと、全然楽しくない、しんどい、私もう帰る、と今にも泣きだしそうな必死の表情で訴えた。結局、斎藤さんとは稲村小屋でカップラーメン食べて別れて一人で先へと進んだ。その後、稲村には行かず、大日だけ登って引き返して何とか母子堂に戻る前に先に降りていた斉藤さんに追いついた。私の顔を見て疲れた表情だったが、安心したように笑っていた。あの日の泣きそうな顔と最後の笑顔が忘れられない。


大峯寺と山頂お花畑に向かう道

 女人禁制の山上ヶ岳に初めて登ったのは昨年の年末、さらに雪が深くなってからだった。この時期になると洞川温泉から先には冬タイヤなしでは行けない。同じ日、斎藤さんも女人大峯に再チャレンジした。斉藤さんを母子堂で降ろし、洗浄大橋に車を止めた。このルートが大峯寺お参りのメジャールートで最短ルートだ。このルートから登ると仏像や石碑が所狭しと立ち並ぶ。屋根のある通り抜けの茶屋もいくつかある(夏しかやってないが雪の日も少し暖かいところで休憩できるので助かる)。この日の登山者は4人、皆ほぼ同時に出発し私が先頭を歩いていた。洞が辻茶屋の手前のトレースのない大雪に苦労した。30分ぐらいラッセルしたので茶屋に着いたときは息が上がって肩で息をしていた。軽アイゼンとワカンのベルトを締め直しながら行くか戻るかを思案していると若者が茶屋に息を切らしながら飛び込んで来て、俺もワカン持ってきたらよかった、先に歩いている人がいてよかった、と言いながら私の横に座った。そう言う若者の足には12本爪のアイゼンがしっかりと装着されていた。ここからがきついんですよね、そういう若者はこの山を知っているようだった。後の2人は抜いたのか?と私が聞くと、ええ、さっき、もう着くと思うけど、と答えた。たわいもない話をしているうちに後の2人も茶屋に入ってきた。2人は今日は無理だよ、もう降りよう、と言いながら座って昼食の準備にかかりだした。あの人たち降りるのか、どうします?若者に聞かれて、行くよ、と私は答えた。彼がいなかったら降りたかも知れない、それぐらいへばりかけていた。彼とは平坦な道が続く間しばらく一緒に歩いた。私の方がワカンを履いていたので、平坦な道は先を歩いた。晴れ間が見えると光る樹氷が眩しくて美しかった。陀羅尼助茶屋の先で左側の行者ルートを選択し若者を先に行かせた。ここからは単独行だ。私はワカンを外して彼の後を追った。夏は鎖場と階段が見えているところが雪に埋まってそそり立つ雪の壁のように見えた。下から先に登る彼がどうやって上るかを見ていた。かなり苦労していた。健脚な若者が苦労しているのを見てこれは苦労するな、と思った。案の定、私はそこで10メートルほど下に滑ってピッケルを突き刺してようやく止まった。登り滑りを繰り返しその壁を抜けるのに相当の時間を費やした。そこからは時間と前に進もうとする気力との戦いだった。大峰寺を抜け山頂のお花畑のところにたどり着いたが、若者とすれ違わなかった。彼のトレースはレンゲ辻の方に向かっていた。ああ、あっちに抜けたのか、折り返そう、明るいうちに下まで降りたいという一心で、全速力で下り始めた。帰りも一番苦労した箇所で滑った。ピッケルを持ってなかったら、そう思うとぞっとした。女人結界の門をくぐってから、山に一礼した。今日も心が洗われる一日をありがとう。


山頂お花畑の様子

洞ヶ辻茶屋の仏像と洗浄大橋の女人結界

 洞川の行者宿に先に戻っていた斉藤さんがあまりに降りてくるのが遅いので心配してくれていた。斉藤さんの顔を見て本当にほっとした。稲村登れたのか、と聞いた。小屋までと答えた。また、宿題だね、と言って笑っていた。

 今年に入って寒さが束の間緩んだ2月のよく晴れた日、私はもう一度同じ道を歩いた。雪もだいぶ解け、山頂の見晴らしも最高だった。こんな山だったんだ、私は長い間山頂で向こうに見える女人大峯を見ていた。


少し雪が解けたお花畑と大峯寺山門

山上ヶ岳山頂からの眺め

 少し前、4月の中旬頃、アメミー(雨宮さん)と二人でまた登った。天気も良く、雪も完全になくなり、暖かい春の山になっていた。前々週やってしまった凍傷の足がまだ時々痛んだが、道はとても歩きやすかった。人もたくさん登っていた。下山後、ごろごろ水を汲みに行った。この水は大峯の水でとてもおいしい。洞川温泉と母子堂の間ぐらいに車を止めて自由に汲める場所があって、いつもここで水を汲んで帰る。その後、洞川温泉に立ち寄り、天川まで降りてキャンプした。目の前に山桜が綺麗に咲く中、焚火をして、アメミーセレクトのJAZZを聞きながら酒を飲んだ。女人結界の山に登ったのは何だったんだと思うようなブログでは書けないような馬鹿話をした。アホな奴と遊ぶとやっぱり楽しい。そういう私もやっぱりクズらしい。


焚火とJAZZ(クリックしても音は出ません)

 少し前に流行った山ガールとかいう言葉、大峰山の山上ヶ岳ではそんな流行の概念は通用しない。参道は物々しくて、ようお参り、というのが合言葉だそうな。修行場の岩場である西の覗き岩から下を見下ろすとぞっとする。高所恐怖症の私には耐えられない。そもそも、スカルパとか上等の登山靴を履いていても誰も気づかない、長靴とか足袋(雪山ではやめた方がいい、凍傷になるから)が良く似合う。ストックより木の杖の方が趣がある。だって、女人結界だから、女にもてたい、とかカッコいい男と思われたいという、一般的なスポーツの原点が成立しない。なのに、この山が好きでたまらない。


山上ヶ岳大峯寺のエンノオズヌ像と稲村ヶ岳登山口の母子堂

 山の伝説のようなものが好きなのだろうか。何か自分との近い距離感を感じる。山の深い関係者、エンノオズヌ、凄い伝説を持つ男だ。その母が祀られた母子堂から山に入ることが多い。この男が絡んでいるのも魅力の一つなのかも知れない。色んな山を切り開いたという彼は、世紀のはったり屋かも知れない。今年の最初に登った四国の石鎚山もゆかりの山だ。今年の正月に登った時、成就神社の山門まで降りてきて、エンノオズヌが口にしたという言葉を私も口にしてみた、我が悲願成就せり。悲願とはSocietasのことだ。


石鎚山成就神社近辺からの風景

 女人禁制は様々な社会議論を呼ぶ話ではあるが、一つぐらいそういう山があってもいいと思う。何しろ、一つしかないんだからこその価値だし、だからこそ稲村ヶ岳も女人大峯と呼ばれる。女性が上るようになれば、あの参道の物々しさはなくなってしまうだろう。山道にしては不気味だもん、どう考えたって。そうなると、山頂のお花畑が星に見に来るアベックでいっぱいになるんだろうなーそれも何か違うよな。でも、いつか、天気のいい日に夜に登ってあそこの山頂で寝そべって夜空を見たいな、降ってくるぐらい綺麗な星空だろうな。

 今日のブログは全く落ちがないので、最後に決意表明を。 

もし、悲願を達成したら吉野から熊野までの大峯奥駈道を縦走する。

 追伸
 山から下りてきた娘さん、君の心はどこにもおかないように。